快適な座席つれづれ。

2021年、聴きたいコンサート、お芝居や、

たとえば四季劇場のチケットなどエンターテイメントの周囲では私よりはるかに遥かに

すさまじく熱い想いでお芝居を応援している方がいらっしゃることを感じていて
さすがに昨年チケット10公演分の払い戻しがすべて手元へ、金額だけが返ってきたときのファンのかたの脱力の心理状態などのつぶやきを目にしたら つい私まで「それは気力がそがれ、、、ますよね、、、」と

内心つぶやかずにいられず
昨今は待望の公演をようやく観ることができている方々が

またきらきらと喜びを発信していたりするのも、ちらっと見かけております。

余談:土曜はHYDEのオーケストラライブをイチナナで聴く事ができました

横浜のコンサートホールなのでしたか、赤いドレープと装飾も含めて、なんだか懐かしく

ちっともお変わりないな!と嬉しくなりました ((8/30~9/3) アーカイブ配信もイチナナ)

今年の私は「一心不乱にお芝居を応援する」情緒をなぜかしらどこかしらに

すごく大切なことを置き忘れているような

うまく言葉にまとまらない奇妙な心地でいます。

それでも土曜のHYDE公演&配信は嬉しかったな….(しみじみ)

個人的なことだから共感を求めているのではなく。まとまらないまま筆を取ったのは、

この庭ではdiaryというカテゴリも確かに作っておりまして
今の私、というか今年の私が何を感じ何をおもっているのか足跡を残すことが案外「無駄」でもないから。
言葉にしておこうと思いました。

コンサートで「音が良い席」と「よく見える席(視覚を最優先)」
親しい友人は、どんな席を第一希望にしてチケットを取ろうとするのかな、なんて、快適な座席を

皆様はどのあたりが第一希望のお席になりますか。

推察というか思考する一件がありました。友人チケットについて。
代わりにチケットを押さえて差し上げるか迷ったとき。その方が、ホールの、どんな席をもっとも望むタイプなのか羽鳥が存じ上げてないなと思って。。
これは私のごく個人的な「選び方」なのだけれどわたしは「見える」より「聴こえかた」を重視して席を

いつも望みます。
私の中では「良い音の席が、よいお席」
くっきり見える!とか、ではなく「耳に届く音が、余韻があって、響きがまろやかで」
舞台が近すぎてたとえば全体が見渡せないぐらい近いお席だと音がとがっている場合も有り得ますし

私の波長が相手に届くような錯覚に感じられるほどのお席を希望したためしがなく
なんというか「音さえよければ豆粒な見え方でも構わないよ」というわたしの座席選びって

10年前ですら、すでに、その価値軸で座席選びをしていて。

ちっとも気持ちが変わらないなと。
特殊かもしれないと再認識したのでした。たいていのアイドルファンのかたって、、近ければ近いほどいい!って

いう感性で生きているのかも
音が近すぎるより、舞台を見上げるより、ホールの奥にどんな風に音が届いてくるかを優先して聴いてしまう私ってかなり変わっているのかもしれません。
余韻の深い音、それが、心地よさの「かなめ」みたいになっていて、

ホールの響きがまろやかにしたあとの音が好きです。
ピアノコンサートであっても、演者が見えることより、ピアノという楽器が音を閉じ込めない、

そのひろがりがもっとも感じ取れるあたりのお席が好き。

ステージの相手に私の存在感が分かりづらい程度に遠い席。

無数の客席の中で羽鳥が聴いていることがそのかたに場合によっては気づかれていないぐらいの距離を

つい選んでしまうのは
もしかしたら「ホールの後ろが落ち着く」っていうすみっこ好きの理由の、もっと根底に、別の理由があって
「グランドピアノのコンサートにおいては、楽器から近すぎる席ではコンサートの真価がわからない。 

 ほんとうの、その日の、音楽の全体像や最良の音は、コンサートホールでは楽器に近い席では、

 ちがう音しか聴けないし」っていう経験知があって


ピアノを聴くならどこにする?どこで響きを受け取る?まろやかなほうが心地よいっていう発想がわたしの根っこの根っこに残っているから
どれほど編成が大掛かりになっても耳に届く音を自分好みにしようと、してしまって、
たとえフルコンサートグランドのクラシカルな演奏だけでなくどんな芝居でも。大掛かりな編成でも。

たとえヴァイオリンのコンサートでも。オーケストラを聴くのでも。
近い席だからうれしい!っていう感覚がそもそもない、遠くの席を取ったりするのは
「音が良ければそれがいちばん幸せなこと」「ステージの端しか見つめないより、全体の調和を聴いていたい」みたいな
ステージで音を発する存在のすべてが調和している状態を目に映しながら
なんだろう存在によって色が違うことすらも楽しむというか、わたしは楽しいというか(それは照明の色とはかならずしも違って)

とにかく羽鳥は「視覚を重視で席を選んだためしがないな」と。

耳が幸せであるなら席種にこだわらないなって。再確認しました。
そしてそれが、音楽ファンのだれしもの発想とは案外重なってないのだろうなと。
知人のチケットをと身動きした際に、自覚したのでした。


芝居も、わたしは、主役の存在がその熱が間近にわかるほどの席で見たことは無いに等しいかもしれない。

なぜだろう、SSがあいていても、最前列に座らない
どこかで、わかってしまうんです。自分の発している波長が相手に受け取られているであろうこと。それは相互作用になってしまう
こちらの心理の動きすらもキャッチボールになってくる
音楽を発する側にまで私の存在感も伝播してゆくのがわかる本来はステージ側は
わたしの波長の変化までは感知してくださる必要はない
だからなおさらです作り上げてきた演技に集中してほしいし<全体の色合い>を感じていたい
羽鳥がいつも「不思議な席で音楽に浸ってる」という(近くも、あいているのに?)みたいなシチュエーションは、さては遠慮だな!という話でもなく
かなり複数の理由が重なり合っていそうだな、そっとしとこう、と、それだけ理解していただけていたなら十分です
スピーカーから距離がある席が好ましいのはきっと昔も今もこれからも巨大スピーカーの存在から自衛距離を取るのもそこは変わらないですもの。必須です。。

本質的には「グランドピアノコンサート」の席を選ぶ習慣が今も私のなかで根強いのだけれど

うっかり羽鳥がスピーカーに近い席についてしまうと、お席を立ち上がらないといけなくなるので
事情通の友人なら、もっと後ろを選んでくださる、という場面も多々ありましたね(遠い目)

今回は「その人に最適に心地よい席って、理由さまざま」という話。
そしてお芝居・コンサートファンの皆様の2021がやはり幸せな時間の積み重ねであるよう。

生きていてよかった!この公演が見られて幸せ!の時間が、きちんと安全に行われますよう

末筆ながらやはり願っているのでした

2021 Aug.

***

#HYDE オーケストラツアー 20th Orchestra Tour HYDE ROENTGEN 2021

#17LIVE でアーカイブ配信決定

(8/30~9/3) アーカイブを見た方もイチナナ限定ライヴフォト抽選

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