快晴の朝です。
とてもとても昔、阪神淡路大震災がありました。
その朝であると思えないくらい、穏やかで綺麗な朝。
ですから、阪神淡路の方々には、もう、何も影響も悲しみもないと信じつつ。
NGワード集をまとめます。日本語だけでごめんなさい。
私は異国語の「語り口調」までは何も分からないから。
せめて、日本語で、分かる範囲で。
「まあいっか」
「そういう態(てい)で」
「そういう設定で!」
「甘く見るな」「甘く見た!」(これは「気に入らないからそちらのせいにする」と同義語かと)
これらが、恐らく、全てのよくないことの根本です。
「まあいっか」=「責任取らない」=「私のせいだと認めることはない」=「他者を罪人に」
「そういうていで」=「そういう設定に見せかけます」=「事実と異なる」
ここ最近、
今年で「まあいっか」を私は、一番、毛嫌いしています。
本当は些細ではないからです。自分の責任と言わないようにする=世界のすべての傾きの原因です。
私は、なんでもかんでも、他人のミスまで、
自分のせいだと思い込まないようにね、と、勤務時代に何度か諭されていました。
傾向として、他人のミスを、ヒューマンエラーもありますから、と言っておくような
そんな性格を私は元から持っているように思う。
ですけれど、
羽鳥の行動でもないこと、羽鳥の行いでもないこと、羽鳥の態度でもないこと、羽鳥の性格でもないこと、
羽鳥の本意でもないことを「羽鳥のせい」と 言われると
それは すなわち 誰かの「まあいっか(羽鳥のせいにしておけば)」のすべての積み重なりで
世界のパワーバランスは一体どれだけ崩れてゆけるのか、という話です
最初に。一番最初、10年以上前には
「そういう設定で」という不思議な言葉、その何がいけないのかを理解していなかったように思います。
企業なら普通なのかな、企業内では、ある言葉かな?とさえ感じたようにも思いますが
時を経て、
本当に時を経て 「事実」だけが救いになり得る、偽りだけになったら根本が崩れる。=
「そういう設定で」「あちらが悪いということで」「あちらの責任にしておけば」
「あちらをそう呼べばこちらを浄化」 → 粉飾決済や、事実の隠蔽の根源、プラスとマイナスの逆転をねらう
口癖のように「そういう態(てい)で」 が、 え、それは事実は本当はどうだったかしら、に
繋がっていると思うのですね。
「まあいっか」が流行語になったら
市民の健康や、健全な発育や、自分の想いの責任は自分で取る、や、そういう「人としての健全」が
なし崩しになるので
書き留めておきます、
1.17
キリスト教徒への憎しみを潜在的に持つものすべてを
私は許したくはないです
羽鳥が、キリスト教への全幅の信頼を持っている以上
「潜在的にキリスト教を憎む人」を、どうか、口先でどう言っているか、ではなく
見抜いてくださいね
キリスト教徒への攻撃を私は、本質的に、本心で、心から、許しません。
ーーー
そして「見た目が普通以上に美しい人」を私は警戒します。
「最初のお顔と違う」と気づけるからです
「美しい外見の人なので」と
そこを判断基準に 気を許す人が多いようなのですが
何度、お顔が変わっていったかを存じているなら
「ありのままの見た目」の全てを変えていった人を、私は、信頼しません。