20才の記憶と
40才の記憶を比べる気がないのですけれど
そこと[14sai]あたりの 記憶の四季の彩り(in箱庭) を考えたら
困ったことに「3つの恋」ああ確かに持っている。という
実感があるのですよね
3つの恋。
人生に在って そのどこを基軸にしても10時間ぐらい話せそう、という…….
なかったことにならない
言葉、景色、ロケーション、すれ違い、どうしようもなさ、追いかけっこ、類稀であること。そのほか
でも恋と呼ぶより
メンヘラ系の女子と関わると10年は続く?という法則のようなもの…..???
羽鳥はタバコを吸ったことがないですけど
メンヘラ系の女子って ”煙草” 登場するのですよね。記憶の端に、どうしても。
まさか煙草の香りで思い出さないですけれど
L~arcライブに一緒してくれた14の頃の女子は脅してこないから
特に 脅威として認識していませんが
20版と40版は いまだに 羽鳥あやの日常生活にとっては
「脅威」(リスク)です 鮮烈だから。というか他人に似ていないから。というか暗号が多いから。というか…..
多面体を名乗る相手だから。それがすべてですね
「こういう服装かな」「こういう意図かな」という全ての事前予想があっけなく崩れ去る予感が
いまだに消えないのですよね。
それぞれに余韻は消えそうにないながら
20版の人には「文藝でいてほしい」と伝言を
40版の人には「なごみ系で在ってください」と伝言を
それぐらいは7/7に向けて
嘘のない言葉を。
*-*-*
20代の時の「音に殉じて生きてください」は響いたんです
人に殉じずに音に殉じて。そのフレーズは一生多分忘れない類のもの
Stoneを予告した文章であったかは突き詰めていません
そして40代の時の「公園でまた」は
意味は深く理解できなくて…..
砂場でまた、の意味。 その人にとってだけ無限に意味を持つもの
砂場でどうして逢いましょう?
該当の公園で 頬杖ついて待ち構えてはみたのですけれど
羽鳥が待ち構えてみたら会えない構図らしく
公園の一日。
夕刻の光射す一瞬。
私が待ってみると遭遇しない。おいでくださいな?だと出現しない
つまり私が待っていなければ追いかけられる(手出しされる)
このLoopに追いかけられながら生きています
トリビアの泉、の音楽が
すごく素晴らしくて記憶から消えない。としみじみ痛感したことがありましたが
私、今から、それほどの鮮烈な旋律を書くかな?というのは
毎晩のこの嫌がらせ具合からは いまだに想像できない
ちなみに。
羽鳥あや は 女性脳99パーセントのままですよ
笹葉に願い託すFamilyに
お子さんたちの様子に(うん)^^ 微笑みながら短冊を見守ってきました
一家丸ごとの短冊など見受けられるのですよね✨
明日が、星空に恵まれますよう
元 織姫(綾布)でした
綾羽鳥が 織物工場であると認識した時は(びっくり)どんぐり瞳になったものです
綾なす 横糸と縦糸 複雑な模様 絹織物 織女 ですね…..
晴天 星空 恵まれた日曜となりますよう祈念いたします