スペインに前回
訪れた時は、羽鳥は、父と一緒。二人旅。
ですからどこへ行っても「娘さんとしての羽鳥」と「親としての父」でしたから
どの街の滞在でもロマンスが芽生えようはずもなく。(父は常にクタクタです。スペイン語の響きが馴染まないそうで)
当然、日本人の友人ができることはない旅を
体感済なのですが
父がどうして それほど「Spainを連れ回されている。娘に」という様子だったのか
いまだに理解は及んでおりません
改装前の「ホテル アリサレス」という
優しく穏やかで目に痛くない「黄色」を取り入れたアラブ風のHotelが
私と父の心に響いたHotelでした。ビジネスっぽくなくてね、落ち着いて知的な佇まいなんです。
フロントロビーの感覚は「パティスリ グレゴリ・コレ」がKobe商店街から移転する前に
どこから少し似ていたのだけれど (風月堂Hallのお近くにグレゴリコレが瀟洒に洋館としてあった頃です)
COLLETさんが、Parfaitを多数 販売していらした時に
愛らしいフランス風ソファ席へ 家族3人でお邪魔していました
南仏風なのか それとも アラブ風だと黄色い壁紙になるのか…….。
南仏ニースのあたりのsachetが黄色だから。あるいは、アラブやモロッコの方が装飾や内装に携わると
優しい優しい黄色になるのか。 あと先は私では理解していません
天上由来の鳥の鳴き声が、Hotel Alixaresで響き渡っていた時
おそらく 1日でも「至福」の環境を体感できました
とにかく父が「ホテル アリサレス」に 学生だった頃 見上げて
いつかはこのように素晴らしいhotelに宿泊したい。と夢を描いたそうなんです。きっと20代に。
そして、30代の娘を得てから
「娘の要望にて」宿をあらかじめ日本で予約していたら
(母Junが予約してくれていた支払済ホテルが「ここが素敵そう!」Hotel Alixaresだったのです)
Hotel Alixares.
開業年がお確かであるならば(改竄がないのであれば) 私の生まれ年1982からあるHotel様ですね
ん? でも、それでは「私が AYAが生まれてくる前に」父が通りかかっていた話と
整合性が取れない?
……え。私が「生まれた年」か「日本で母のお腹に私がいた頃」かHotelの誕生の頃に
父がスペインに通りかかっている、のでしょうか。
身重の母をおいて、フランスに用事があった時に寄っているのかな。
考え始めると不思議な心地がします
娘と訪れる頃になった、その場所が偶然「ぜひ行ってみたかった」アリサレスなのです
母の助けを借りて父が宿泊できた場所が
Alixaresでよかったね、と今でも思います。星の数が多いから……きっと素敵なおもてなしなのでしょう
予習です。
スペインでは ハモンセラーノの塩分に いきなり血圧が上がる方もいらっしゃるでしょうから
ハモンセラーノの食べ過ぎに気をつけていただき
貴重品をすられないよう 良き旅を
私は ”グラナダの夕べ”の グラナダが好きです
原色ではなく 落ち着いて歴史の重さに色が洗われた感じ。あの佇まいが素敵です
ただし、クルクルと目が泳いで 姿勢を強調しては去ってゆく
Komine氏の胡乱な表情と様子は スペインで絶対に会いたくありません。
あれほどに「自力で勝負しない」人、観たことない。絶対「くっついていく」が「社長さーん」です
コンビニローソンで「社長、社長、社長さーん」っていちゃつきながら
私に流し目。という理解のできない人格の人なのに 2日に1度は出現します
他の人にくっついてくださいますように。
ちなみに38歳の時の羽鳥のヴィジュアル下記は
今はありませんから ご安心くださいね
40代になってしまっているのですし気楽に参ります