羽鳥は「愛着障害」を理解していない。けれど「卒業できずに80年でも付け狙う」とか、つまりはトートは美化されているのではという話

私は「愛着障害」という病気について
調べたことがないし本さえ読んだことがありません。

でも、相手の「愛着障害」が治らない。というこの問題に
20年も30年も人生を狂わされ続けるよりは

愛着障害の<克服法>について
記している医学書でも読んだほうが良いのでは、という気持ちになってきました。
わたしの病ではないから、と、本を読まなさすぎました。

エリザベートで「トート」はエリザベートを80年でも?
幼児の頃から見つめ続けていますが 少女が 初恋から 結婚式から 戴冠式から 孤立から 大人気から 
世界の隅々まで追いかけ…………….????

エリザベートが うっかり馬から落っこちたり うっかり木登りから落下しても
ドキドキしつつ人間世界へ帰してあげるでしょう。

「まだ死の時ではない。人生へお帰り」って そこだけ かっこいいのですが

ストーカー歴が全生涯? うん? という
エリザベートを見つめ続けたその期間、 それが天寿までの全人生? 究極のストーカー?

待って、ストーカーは結婚式も見つめて、夫婦すれ違いの会話も全てを見つめて、
宮廷内のいじめも見つめて エリザベートの女王覇権時代を見つめて

★ダイエット大作戦を焚き付けて (痩せているほうが魅力的ですよ、のくだり。女王相手に矯正ダイエットの勧め)


エリザベートから引き離されている幼いルドルフにも

「来い来い来ーい ひとりの世界(お母様がいないなら遊んであげる)」と
「君ならできる お父上への反乱/謀反/革命(君ならやり遂げられる、支えてあげる)」と焚き付けて

息子様は失意のうちに亡くなっておられますが…………。

トートって

究極的に人生80年ほどの「すべての会話と表情への粘着系犯罪者」なのであって
両想いは幻想ですね? 両想いのラストシーンが「音楽によって」説得力あるsceneとなっていらっしゃるけれど

かわいらしい息子を奪った
憎いトートに 
最終 あらゆる地方への彷徨う旅の終わり
エリザベートが「ようやく両想い」と その場面は……最終場面ですが


トートが言わせていますよね。と羽鳥は解釈します


ハイネを読み耽っていた頃のエリザベートは
きっと とても焦がれ ハイネの文章を愛していた それは事実でしょう

けれど後年 晩年
旅に彷徨って彷徨って 夫も息子も連れず 彷徨って その鬼気迫る旅ぶりに
追いついているのは ”トート”と「臣下」ぐらい。その頃にも


エリザベートの心に ハイネ存在があったかは微妙なところです……….よ。


年齢とともに心の風景は変わってゆく
何に安らぎ 臣下の誰にも 心を潤す言葉を求めることができていない、そんな旅が
「追いかけられている状態の」旅であることは 
歌劇中から容易に誰でも理解できますが

エリザベート様の「自由じゃない」旅と
羽鳥の「すべてのつぶやき、言葉、記録がなされており
 ナイフやフォークが汚れていることに困って=カトラリー使えない状況、手掴みなど教育されていないのに。フォーク使えない。そのすべて」


わたしが 観察されている現在の不自由と

追いかけられながら諸国を駆けてゆくエリザベートの旅
<不自由の度合い>に、<どちらがより不自由であるか> とても悩ましいところではありますね

誰のいうことも聞かないとはいえ
羽鳥は女王ではないのだから。

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