桜のほうが繊細
若葉の芽のほうが繊細
声のかけ方に、言葉を見つけられず見失ってから
ようやく見つける言葉のほうが繊細
言葉で何をも約束できないとき(いつ、雑踏またすれ違うか、も日程約束しない)
余分な攻撃を投げてもブーメランで還るだけ
たとえば
ほのか先輩は「私を忘れないで」を色鉛筆に託したとき
羽鳥は首肯して
その淡い水色をどうして私は音大の中で ふと心の隅から記憶にのぼりづらくなってきていたか
埼玉は「話したこと、すべてが実は真実でもない。忘れてください」をロングメールしたのち
22年後に追いかけてきて
羽鳥が恐慌に陥るのは
「忘れてください」は何処へ?
話したこと、私が熱心に聞いたこと。
それが「真実でもない」と
「初めから愛される資格がない」と
「そして忘れてください」と
そうしてなぜ、22年後に
羽鳥は「人ならざる風貌」に、ときめかない
「人ならざるもののように」に、心が麻痺している気がします
この現代じゃない
ひとならざる要望なるものがめずらしかった時代と
今は、違う
「人ならざる流儀」に心が麻痺したら
羽鳥に 心の最愛や 心の敬愛を求めるのは酷です
私は人間としてのキャパシティと感受性で生きています
人間以外の「無限の野次」は
地球のノイズといずれは誰でも気づきそうなもの
「龍」が偉くはなかった
四流島は
「龍」の機嫌だけで 火つけもあれば
麻薬の話も登場
「龍」に関連した登場人物のほとんどが
風説の流布にいそしみ、火付を行い、そもそも「苛烈」と評された西側龍以外の「龍」は、ならば
統治者にふさわしい『龍』は、いましたか。
しゃなりしゃなり歩きたい「東の龍(ジャスミンでも髪に飾ろう)」も
侍者ひとりだけと永遠に眠っていたい願望も見え隠れする「北の龍」と(執務を嫌がり続ける)
用心棒集団のトップが目の前で みすみす刺されてから初めて
トップに心酔していた残り90名ほどに「刺されてみる」シーン…………
そこまでの「生身で90名以上に討たれてみようとする」銀灰は
演技ではなかったか、と。
刺されてみてあげようか、が、本当にそこまで、その長身は「誠実であったか」
あざやかな笑顔を求めないで
最愛という言葉を強いられても無理があります
最愛という言葉を聞きたいなら
最愛へ向けた振る舞いを。

最後に。
「龍に追いかけられたらいいことが、」は フェイク
「統治者に追い縋られるほどの龍玉になりなさい」も、幸福への道標としては、フェイク
飛蘭に刷り込まれた言葉の
多くがフェイク 「立派な刺青がほしくはないか」も、15歳未満にはフェイク
…..ひなに刷り込まれる「親からの言葉」の
数多も、また、フェイク。