物質界より尊く

小説という世界は「対立する多くの世界 対立する多くの人間関係 善と悪」を

あますことなく文章だけで描きだしてしまう。
文章だけで。善悪を描きだす。

何のためにある? ー善を選ぶため



人物の心の動揺、驚き、困惑、当惑、怒り、慈愛、すべてを描きだしてしまう。
小説というもの

善もよく描かれているし
悪が迫るほど臨場感があるから 人は夢中になるけれど


善を選ぶため。
その前提を忘れる中学生が 時折 多すぎる


その大前提を 民のほとんどが忘れ去って動いているのに
精霊界からまだ光が空中へ届いているのは奇跡


昨日4月3日
日本 HyogoPrefectureは 文章ではなく「武庫川沿いのせせらぎ」に
桜と精霊がまだちゃんと残っていて



精霊からの祝福は
まだ 「蜘蛛にではなく、空中に」ちゃんとある と

小さな蜘蛛の 樹木への投げ入れには
ちゃんと私の目線が険しくなっても

蜘蛛と一切の関係なく

陽光は精霊を空中へ運んできてくださっている。
ここまで地上に野次が溢れているにも関わらず。それこそ奇跡です

ーーーーーーー

羽鳥が「昆虫ではなくヒトだからこそ」
数ヵ年計画で 昆虫に狙われたこと
昆虫を身体に入れられたことを (昨日もですね 今日もですね)

「善は悪に狙われるもの」と
ただ呟くひとも多いでしょう

それでもね。
善悪を描けている小説に「出会っておいて」「善悪を読み進めていながら」

善に恋人扱いされないなんて、とプンスカ勝手に怒っている男性にね

善に恋人扱いされるほど、善を極めておいでか、と


「善を極めて、善人に愛される振る舞いを重ねてらっしゃいますか」と 苦笑する時代も過ぎたら
無表情になる今年です


「善人に好まれる振る舞いを」
「善人にサポートになる振る舞いを」40分続けたよ、と報告いただいても

もちろん、その40分は
私も憩うことができるものだけれど。

「600日は昆虫を投げ入れようとしたけれど」
「4日は昆虫を実際に体内に入れちゃったけれど」

「実際は昆虫以外のほうをいっぱい消しちゃったんだけれど」

3時間だけ頑張ったよ、みたいな報告をね。
お聞きしまてもね

身体やSoulに
昆虫がいらないの、と、小説作者に言わないといけない


昆虫がいらないの。身体内部に。
それは小説の書き手に、言わなければならない


……….昆虫以外を消してしまおう、昆虫なら増やしてしまおうが
太陽にも背いてる



詩的な意味じゃなく お日様に喜ばれないふるまい  と



理解もされていない、変な国

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