駆けることを忘れないでいた頃
選んでいた象徴が
「桜マスクチャーム」
そのままアイデンティティだからと
耳打ちあり
駆けつけることが
どなたか誰かの幸いになると
固く信じ揺らがなかった頃
つまり「待たれている理由「は
どなたかの笑顔には繋がると信じていた頃
真冬ですね
しっかり防寒(傍観)むくんではいるけれど
新幹線3時間が
苦痛ではなくて
供される苺
そのままにキャンドル
………キャンドル?
風なくも揺らいだ別のキャンドルに
ならば
唐突に
吹き消す不粋を咎める
どれほど風を遮っても
キャンドルを吹き消してゆく透明な壁に
記憶は二重
なぜ苺のキャンドルか
理解しないまま 待ち人のいた羽鳥
薔薇二輪の「使い」を ただ見送ってみて
閉店18時を過ぎた頃
それは羽鳥が
「駆けつければ 誰か微笑む場所と ”まだ” 信じられていた頃」
二輪の薔薇が
「苺」讃歌でしかあり得ないと理解する、まだ前の
遠征時の。
短話
羽鳥も「形状記憶カール」にしていない時の
まっすぐな髪質だった頃は
眉の描き方が上手じゃないことも手伝って…..
確かに「可憐系」キャラクターでは
ないのでしょうけれど。
土地勘のないバウムクーヘン専門店で
「閉店までは待って」の伝言があれば
閉店までは素直に待つもの。
遠征、けれど出会えず。
二輪の薔薇のパッケージが去っていったことも
そう、何度繰り返したとしても
「そのバラは羽鳥宛です!」と
叫ぶキャラクターには成り得ないと思うのです
だってね
Dear も To も あらかじめ記載があるものです
「羽鳥宛であるならば」
それにね。
羽鳥が「あに」と呼んでいたu oは 蝙蝠の羽があったわけです
それなら 羽鳥は 気の迷いでも「あに」と呼ぶべきではなかった.
そう。気の迷いでも。
雨の日
7歩は先を歩く後ろ姿に
黒い羽を見かけたことがあっても
くすっと
兄というものがいたらこういう心地がするものかしら、と
ひとりごちたことがあるけれど
蝙蝠羽を見た時点で
「兄であるわけがない」(血のつながりがない)
