他人が「故意に」「わざと」「意識的に」羽鳥にしでかしたことは
羽鳥の記憶領域に深く深く残って のち めぐる。
ですから
「あの時、スカートの裾を直してくださった」とか
「あのとき携帯電話を一瞬、貸してくださった大人」とか(もう20年以上は前のこと「あ、通話代?いいよ」って)
「あのとき相合傘で、一瞬、夜道で同じ傘で歩けば雨に濡れないですよねと持ちかけてくださった大人」(20年前)
そういう「ふっと無意識に親切に行動できた」は
そういう「善意から(下心なく)ふっと動けた善行」のほうの記憶をたぐるには20年以上も記憶を遡らなきゃいけないけれど
(下心なく)ふっと善意で動ける人を
とにかく「生まれ変われなくさせてきた」石川グループの、しかも行動力が抜群にある側は
むしろ生まれ変わってこなくちゃいけないのは
「ふっと(打算なく)善行ができてしまう側のソウルグループの魂」ということを
忘れないでください
深く計画してすらない善行を、ふっと自然に毎日、積み重ねている人が
多く必要です。組織の上とか 組織の下とかじゃなく 日常に。街に。
そういう「朝日を浴びながら善行ができるひと」に何の徳があるか?
……….見そめられるんじゃないですか。多分ですけれど。
打算なく。下心なく。
その行動で金額いくら、という、<とてつもない雑念> を挟まず
「いいですよ〜見ている前で、今一瞬貸すぐらい(携帯はい)」って
ほんとうに羽鳥の記憶に、20年前には、確実に、いらっしゃった。実在してた。無料で携帯を貸してくださったひと
心からお礼を言って
あの通話代、ってコインを探そうとしたら「いいですいいです2分未満の電話なんて………….」っていう
まるで「お嬢さん、今、時間は何時かしら。腕時計をお持ち?」って
「あ。はい。ちょうど携帯があります。ほら8:20ですよ」って
私に時間を聞いてきた人に羽鳥が回答したのと同じほど気軽さ。
お時間を答えるのに、手間賃も何もない
「すこしだけ携帯を貸してくださいませんか」って私、どうして。他人に。
もうどうして
今の時代、とても気軽に言えないのでしょうね?