「こだま病院」「宝塚市立病院」の担当医師の言葉「尼崎の病院」Doctorの言葉を
元にして
メモをBLOGへ残しておきます
交通事故に遭った方の「事故後の1ヶ月、つまり30日間に起こりやすい症状」に、上っ面ではなく
「首を起因として」視力低下が起きやすいことを実体験として明記いたしますね。
★眼科医療必須日
視力の劇的低下Day: 6/5 + 6/13 (予兆が6/12でも完全視力低下が6/13)さらにメガネあつらえ直しDay
★両足表面の擦過傷からの傷、かさぶた、アトピー激化、リンパ液ぶよぶよに、後日から足表面の色素激変
★足観点
5/29以降だけれど実際には6/1, 6/2. 6/3,(歩けない)←「腫れ」目立つというより傷が起因で歩けない
羽鳥の皮膚科受診日6月:
さらに「事故日の靴で気を取り直し出歩いてみたら、いきなり靴全破損」
(上からマウンテンバイクの両輪に轢かれても歩いていたら、その靴のリボンすべて壊れる)」6/24(尼崎)(芦屋)
尼崎駅では阪神デパートで女性複数から「お嬢さん、靴のリボン取れてる」「お嬢さん、その靴が壊れてる…..」
「お嬢さん、靴こわれてるで危ないで」 大阪弁バージョンも声掛けあったと思います
→「(わぁ心配されてる珍しいな/涙) ありがとう治しますね(羽鳥笑顔)」 →
その靴、完全破壊。芦屋駅モンテメールで
途方に暮れる。靴の買い直しで6/24 足の表面に「お大事に」を自分で言ったつもりも、6/30に左足は腫れ上がっている
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「首を起因としての」視力低下の驚き編 「え、全然見えない……..???! (自宅にて)」
事故の発生後まだ「三日は養生」の寝込み&ミニコープまでしか動かないの頃を「ずっと超えてから」視力激減
★怖かったポイント★
・歩道と山道が怖い。車の速度も怖い。道路を渡るのも怖い。行きかう車に対する残存恐怖感あり
・コンタクトで矯正しても視力が上がらない
・コンタクトなしの視力0.01未満 という コンタクトやメガネをつけての視力が「変わらない」
(矯正しても手元もノートパソコンも見えない………????!)
→頼みの綱の、コンタクトレンズ or メガネで 「まだTwitterが勘でしか打てない」なら
入力結果は文字が見えない。
わたしの視力は6月の後半は もう「パソコン画面が見えないのか?」恐怖でした。
さらにポイント
眼の瞼アトピーがある「だけでは」「視力落ちない」(皮膚炎の痒みだけでは、視力は出るんですね羽鳥)
顔のまぶたアトピーを「掻いたら良くない」のは常識でも、掻いても、べつに視力は下がらない。
メガネで全然見えない、+ コンタクトを入れられても [0.01未満の体感」 事故むちうちの代表症例に記載あり(!)
極めつけがメガネ本舗さんSaid 「あー 前回処方のメガネだと全然見えてないですね。度数落ちてます 」
メガネ本舗にて「前回のメガネ処方箋の視力で」 ひらがなが読めないことに愕然。
タクシーにて眼科へ移動:「アレルギー出てますね。すごくアレルギーだから眼薬さしてあげる」
手元が、というより 「人物がいる。多分女性」しか見えていない羽鳥でしたので
待合に、誰がいるか? 見えない
待合に、何人いるか? 見えない
受付の人の顔立ち? 見えない
すれ違う人が知人か? 見えない
平仮名? 認識できない
という「視力が、後遺症により激減する」というのが人生初体験でした
・こめかみの痛み
・左首は事故当日からおかしい
・左腕は事故当日から違和感
・眼の奥の痛み
・コンタクトを入れられても視力が全然出ないという恐怖感
こちらが「事故発生日から1週間や10日が経ってからでも左首を起因として眼の奥の鈍痛と立ちくらみを起因として」
視力激減で起きました。実体験論です
世間の人の「後遺症って事故から3日後から起きる、とか、1週間をすぎた頃から発生」というような偏見が
思い込みと分かる、首を起因とする不調は 10日目 11日目 12日目 13日目あたりが
最もお困り。 会社員なら出勤不可が続くわけですね、、、、(ノートパソコンが読めないわけだから)
なお、尼崎の医師の「視力の激烈な低下後、視力が戻るということは、あり得る」という発言
『必ず視力が低下したままの人生になるとは現時点では申し上げられない。でも、事故後、
矯正後の視力が、落ちたままになる人はいる」という言葉
「視力が左右で全然、違っています」という言葉(多少の差異ですら無い)
尼崎の病院受診の日のポイント
「左足引きずり」「右足を軸足にして、根性で、左足は引きずっている」
「歩行困難が出ているので母親を呼びつけている」
「TAxiでしか動けないことに、自分自身が呆れている」
もう一つの論点
『左太ももの痛み、左側が地面に打撲する形、左首がおかしい、」「左側の足だけ皮膚炎が異様に活発」
だった後からの「歩行困難」は 「絶対安静期間がわかっていなかったことに起因している」
「歩いてもいいと羽鳥は思い込んでた」(急性期、事故ショックは心理面だけでなく
歩きすぎないほうが良いというアドバイスを、どこの誰からも受けていない)
左足の
こだま病院医師「うわー腫れてきてる」「腫れたね」「このぽっこり腫れ、なんだろうね」「デジタルカメラで左足首の写真を撮るね」が6月末。左足が包帯になる。
左足の表面の擦過傷痕と皮膚色素沈着(皮膚表面)は別医師「一年とか、かかるかも……..皮膚の色味のエグさ、傷跡は」
羽鳥:「首からの視力低下は2ヶ月の通院で済むのかな」「両足が轢かれたことの皮膚表面エグさは1年かかるのかな」
「そして左足の腫れ、色素異変、いきなり歩行できなくなる。3、4時間も休めば、一時的には徒歩は可能に戻る」