夕飯は「仕事の終わる時間がとっても早くて、体力がとっても残っている方が」
準備すべきと考えています
というより、常識として育ちました
「しんどくない人が作る」
「出かけすぎて発汗しすぎてない人が作る」
「ふらふらの人は休んでおく」
それが「常識」として育ちました
母がフラフラなら、買い出しも炊事も洗い物もしません。
父は怒りません。羽鳥も怒りません。
逆に、羽鳥がフラフラで眠っているだけで
清涼飲料水と果物だけで過ごしている1週間も
父は怒りません。母も怒りません。
熱射病を患ったわけですけれど「生きてるかー? ご飯食べられんのかー? なに買ってくるー?」というノリです
「うぅごめんなさい果物しか食べられない……..」
それは引け目ではあるけれど
流石に「なぜ熱射病なんだ」という家族は存在していない家庭環境で育ちました。30年以上もの間
『ご飯できたよー。え、食べられない? 唐揚げが食べられない?! 父さんの大好物なのに!!!!!!!!」
「だからたくさん食べて〜。羽鳥の分の唐揚げを召し上がって〜。父の好物なんだから、どうぞどうぞ召し上がってー」
フラフラさんに炊事をさせない。という兵庫ルールが
生まれて35年など保持されていた。にも関わらず「父の好物を用意する」は母と娘に原則ルールとして
インストールはされていて。父がフラフラ日なんて年に2日もある、ぐらいですけれど
「なになら食べられるー?」です
そして亀嶋家のホイル焼きも、日本酒たま号焼きも、好みに合わなくて
食べられないし家訓も家風も違うので、ごめんなさい
我が家は「何なら食べられるー?」 がとても大切でした
「絶対にこちらを食べて」がNeverです
なんかね、きのこアレルギーに
キノコ山盛りスパゲティを振る舞うような亀嶋彩が嫌いなの。







