私HatoriAyaのBLOGを読んでいる人々の
どれぐらいが、買収劇に人生を捧げて、物を買い占めれば桁数が変わる、という
商人の世界に生きているんでしょうね?
どれぐらいが、桁数を利用して、「次の桁へ移行する」という
数字の世界で達成感を得ているのでしょうね?
羽鳥の祖母、GrandMotherのトキ姫は「うちの家系は商売は向かへん。物を売るのは向いてないよ。
商人の家系と違うから…………..」と おっとり微笑んでいたことがありました。
パンを売っても、使用人に裏切られ、どうたらこうちゃら、というお話は
トキ姫の思い違いなのか、他の家系の話か。はたまた
我が羽鳥家のルーツに
<商売というものを始めてみるとうまくゆかない>あるいは、使用人の裏切りに合うようできている、と
どこまで信じて良いものか。
羽鳥は「わかってる。商売なんて向いてない。父も母も商人じゃないし。うちは「教師の家系」だから。」
祖父が英語の先生。教師。
ゆきよさん教授。なおさん大学教授。叔母は英語の先生。父がフランス語の教授。
ドイツ哲学と、フランス語と、英語と、英語と、……..そして私ピアノ?
全員が「教師職」ならば 解説者が仕事である家系に、いきなり「物を仕入れて物を売る」が
適合しなさすぎる。
教師色に染まりきった、ルーツが、先天性が、生まれつきが、教授か 講師か先生である。
この家系で 「商売というものは必ずうまく行かないよ、うちの家系は」
それなら羽鳥が 物品を売るのが得意なはずなど最初から無いのです
パウンドケーキも天性的に焼くことが得意だったとしても
「では20本、毎日、焼いて売ろう!」とならなかったこと。
音楽の道と決めて生きてきた歳月の重み…….とも言えるけれど
トキ姫の「パン屋を始めても、うまくいかなかった。気をつけて」が
ずっと響いているのでは。通奏低音として。
パウンドケーキを1日20本焼いても
30本 焼き上げて完売しても、それで生業というのは厳しいのでは……..そして
わたしの幸福度が、商売で、パウンドケーキを売ることでは無いのでは?
物品を売る、ということを考えるより
解説か 理解したことを言い換えて話す、語る。
理解に到達したことを他の人に伝わるようにーーー
伝える仕事。
そう、伝える仕事。それなら「10冊代わりに読んで感想を」でも
「10冊代わりに読んで内容要約を」でも
「20冊代わりに読んで、キャッチコピーも考える」も向くわけです 私
食品キャッチコピーも向くわけです
何文字で。特徴を。そのものが伝わるように。
父が「大学ではライブのように授業をしているんだ」と生前
ウキウキと語っておりました。
授業とは、聴衆を相手のライブをしているようなものだと僕は考えている、と
父のなりわい、が、聴衆相手のフランス語の解説です。
父のなりわい、は執筆じゃなかったんです。黙読読書よりも「聴衆に語る」が大好き、と自分で
健康法のように語っていました。それが、聞き齧りの知識では無いでしょう?
貴族のフランス発音を研究し、字幕を全て自分でリアルタイムで綴れたり。
字幕の翻訳が全く不要になるまでフランス語の研究をした、という「耳タコ」は
父の作り話でもなんでもない。
父が、寿司の魚の名前をすべて仏語で話してた、という笑い話 こぼれ話も
これはイカ、これはサヨリ、これはタチウオ、これは秋刀魚、これはエビ、そんなお話を
フランス語に同時通訳していた、という こぼれ話。
他人からの知識じゃ無いのだから、良いのではありませんか。
父の専門は 貴族寄りフランス語だった。という、その総括で。貴族寄せの発音を聞き続けた、と。
フランスの庶民寄り発音を避けてた、と。 (私、あまり庶民寄りの発音なんて耳障りを全くパリで覚えてないけど)
私は、ーーーーーーMoneyゲームで桁数が異様に増えた人たちの「他人の金額を買って、買って、どんどん買う」が
まったく好みではありません
他人の所有を、奪って奪って、どんどん奪って。そこに情熱がある人と
仲良くなれる理由がAya Hatoriに無いのです
自慢! 奪って奪って、どんどん奪ってきたよ!と言われて
羽鳥の瞳が輝くことは、ありません。
知人男性には「奪ってきたよ!」がいそうです。「領地を奪ってきたよ!」も「お魚を奪ってきたよ!!!」も
「領地を丸ごと奪ってきたよ、褒めて!!!!!」も
「以前の持ち主の洋館。奪ってきたよ!まるごと建物、奪ったよ!」も
幼児っぽい羽鳥が かけらも喜べないのは
………どうして奪わずに、入館料、とか、入場チケットをどうぞ、ではダメなの?
どうして城への入場チケットをあげるね。五枚でも渡すから、5日間でも散策してきたら、ではなぜダメなの。
私は、みだりな所有所交代が嫌いです
精霊が見えない人って、建物だけ奪ってきたら良いと思い込んでる?
それは「外側だけ残った。いちばん外側だけ残ってる」で、ああそう、外側だけあるんですね、としか……….
某男性の「外側だけ集めてきましたコレクション」も
「ブランドバッグを陳列しました。奪ったものです。どれでも持って帰って」(きゃーわー!人手ー!!!!)も
ときめかない。
そんなことしたら、
そのブランドの下地を染めたひとから話を聞いたり
初代のロゴを考え出した人に、何日ぐらい悩んだのですか、も聞けないし
なぜそのデザイン、その文字の形になったのですか、黄金比ですか、ブランド哲学はなんですか。
そういう「全ての理由」を聴く楽しみは
外側だけ残っても意味がない
取っ手が外れた時のお修理のプロの方にも
羽鳥は尊敬もありそうですし
「そのロゴ。そのアルファベ。その配置。そのフォント。名はなんというのでしょうか」は
創始した人にお訪ねするものです…….
サヴォワール、でしょう?
どうやって思いついたの。いつ降りてきたの。
なぜ浮かんだの。
どんな意味を込めたの。 そう、意味。 そう、理由。 その理由。
いつか「2億から一緒に暮らそう」を言ってしまいがちな男性が、途絶えるかな。
いつか「一緒に暮らそう」をすっぱり割愛して、同空間に364日いなくても
桁数ではない理由がある人と逢えるかしら。
「これだけの桁数を振るなんて」あなたの言葉は、それしか編みだせないのか。
「この桁数なら仲良くなれる」それがどれだけ「数字教」
それだけの数字を握りしめて、
友達から数字を集めてゆく仕組も私は…………好んではいないように、思う
法で定められる賠償金を請求するだけでも
それがNaturalな権利なのに この時代、サクッと進みにくい感じがしますね。







