雪稀苑の誕生時期を迎えました。
20歳の時のWebsiteが Plus. 20sai です
誰だったか「四龍島とは”様式美”」
と言葉を残しました。
様式美は「そのセリフだけは書かない」「その場面だけ映像化しない」「その傷口だけはページが割かれない」
「この言葉だけで、読者の想像にゆだねてみる」と判断していました
雪稀苑は
雪の日の庭園は 美しくないものをCoverされた
日本庭園 または 「雪の上の足跡」を継いでいます
「雪の上の足跡」をトップに掲げたのは
心暖まる出来事も多い場合は 「真冬」さえ敵ではないからです、し
幼児が、真っ白な景色に おずおずと足跡が残る
そういう「計算のなさ」
風の便りが
てのひらに残す「雪の結晶」の完成度を
わたしが愛しました
四龍島そのものが描いた「龍」は
雲龍ではなかった。
マクシミリアンの「容姿描写」に、目が行きすぎた
+ + +
少しだけ原作内容に触れておきましょう
読み人がなくなっても構わない小説と思うのだけれど
赤子を滝壺か海に投げ込む、って
ドラマティックと解釈した人もいるのだろうけれど
親の庇護を、保護者の庇護を必要とする、赤子を海に捧げてしまっている
その一点だけでも拡まらないほうが良い気がしてきます
飛は
銀髪を目にしたことが「初めて」だった為
初めて目にした人物の「髪質を褒めています」
18歳、街に出て「他の人々の暮らしをリアルに知るようになった」頃から
まだ数ヶ月か、1年以内ぐらいの無垢にとって
初めてみた髪質。
初めてみた海外のひと。そこで目を奪われたこと、その反射を
わたしは責めることなんてできない
それは反射
まぶしいと感じられたのは「髪質と髪色」
神様のお使いですか、と、最初に目にした髪質と髪色に見惚れた。
その一点をどうしても責める気にはなれない
出会う人々に「宝石」呼びをされる飛は
守りたいものが多すぎた。ことごとくマクシミリアンに攻撃されているのは「飛が守りたいもの」
飛が守りたいもの。
それを「守らない」と回答されている1巻で
飛は、VSマクシミリアン を 言い争うに足る相手に出会った、ぐらいに
捉えている気がしてなりません
悲劇的に感じるのは
フランス気質は「知的な相手と論戦は好む」点です
論戦相手に出会った、それが事実なら
2巻からのように飛が生傷が絶えないわけがない
羽鳥の盲点は
原作作家が傷を好んだこと。原作作家が薬物中毒計画も立てていたこと。
原作作家が刺青を無垢へ好むほどの性格である、と実感できていなかったこと
原作作家は「少女ならば、もっと怖い人に見えるように(※ 怖い人に侮られないよう)刺青でも入れておいてあげる」
非常に不愉快なのは
「飛が求めた、だれにも侮られないよう目立つ刺青」その洗脳言葉です
主人公からは求めていない。
主人公は剣道や拳法というスポーツで体力を補いたかった、
それだけで
中国茶専門店で暮らす少女が、まさか自分から、あ、入れ墨があったら将来的に敵から一目置かれる、など
なぜ自分で言いだすの……?
そもそも「育ての親指令」で「小刀で背中に傷を」の時点で
16歳の少女にどれだけの暴力性が指示されている小説原作だったか、読者が、気づけなければいけない
I cAn’t admire ” Tatsuru Shindo ”
わたしはピアニストである以上
幼児の頃から刃物を怖がった。刃物に触れることを怖がった。
刃物を扱うなんて最小限に留めたかった、
指先は大切にするものと本能から理解していた。
Tatsuru Shindoが「幼児が16にもなれば刃物を」という
思想であることを
尊敬できない
世界の15歳、16歳が「刃物傷があるなんて非道を受けた証拠でしかなく」
「Coolでも 知的でもなんでもない」と理解しておいてほしいのです
ーI 音楽家に最も不似合いなのは刀 |ー
刀が飛んできたら
咄嗟に柄を受け止める。その初巻で気づくべき
挨拶がわりに
運動神経を見るためでも…..
この日本で
剣舞なんて見せる必要はない、子供達に。
飛んできたら怖い、だれかのミスで刃物が飛ぶことすら織り込む、
剣舞が存在しない。それぐらいの感覚が日本
子育てに、お子様への童話に
あるいは安眠音源に
剣舞なんて出番がないこと。それが日本である、と、それは復習です









