主人公と、日本のhatori.
その重なり合った部分なんて<自分の限界に挑む> <体力の限界に挑む> <他者の文章は聞ききる>
案外、真冬の体力のなさ、挑んだ結果のまっすぐ歩けなさ、
ボロボロで悔しい。そこからの帰宅ミッションが毎日続く。夕飯を取る場所もないけれど
岡田山を下山しなければ自宅のパソコン前にも辿り着かない…………..。
21:00に「悔しい。体力使い切ってる」と呟いて廊下で肩をぶつけながら
岡田山からの退社をするわけです。
翌日までに読んでおく歌科の譜面とか、なかったっけ、など
21:00頃に思惟の片隅に浮かびます。翌日に、まだ引いてない歌版の譜面とか残ってなかったけ、って。
そして、フラフラと岡田山を下山します。
自宅前のパソコンに辿り着かない限り、雪島周辺のいとおしい友達たちにはWEBで再開できないわけです
21時30分頃が、事切れるように、夕飯もまだの状態で、
門戸厄神→宝塚駅。でしょうか………電車で本当に「意識がピアノの練習のしすぎで吹っ飛んでる」状態で
眠っていたのではと思います。
楽器に挑むことは「まだできることはある」という時間との戦いです。
まだ間に合わせることはできる、と自分に言い聞かせながらの「体力のなさへの限界への挑戦」です
体力の足りなさへのはがゆさ、ジレンマ。そう、”不甲斐ない”というセリフがありましたっけ。
それは冬場の某キャラクターの心情描写に意外といちばん隣接していました。
その心持ちのまま、もう音出しもできない自宅で23時半頃まで
朦朧と回復に集中してから、パソコンを開いて、SSショートストーリーを「冬の厳しさと挑むということについて」の
メンタルのまま
文章を綴る or WEB空間の色どりの季節変え、文章に沿わせた素材のお披露目など
24:00前から26:00ぐらいが パソコン前での「雪島主人としての」稼働時間でした。
そう真夜中0時から4時までの「自主的な創作時間」は案外に、何も、翳りがなかったのでは…….と。
翌日には10時頃には学友たちに「おはよう」と笑っているわけですけれど。
体力の足りなさ、というハンディキャップを、そのぎりぎり感を、手負い感覚をやるせなさを
挑戦を音楽と言葉に織り上げることは容易でした。そこからは….. <挑む物語>が
ほんとうに正解か、というお話になりますね。
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やるせなさの先、が主要テーマでした。
連載の対戦相手が(容姿を見ずに)見つかった時の幸福感と、
連載対戦相手が<心の病>と称して行方不明になった時の絶望感は
いまは傍へおきます。ピアノ教室とも無関係ですから。相手があることの幸福と
相手が音信不通であることの、足元の、不確かさ。
”系が切れた風船” ”イカリのない船のよう” ”ほとんど目指す場所を見失っている” それが原作の表現でしたでしょうか。
目ざす場所を、羽鳥は人生で何度も見失っている。
それは現実的に実話です。
原作は「目指す場所」を なんと 特定の風光明媚な街や、
離島ではなく本土の訪れたことのない異国の街ではなくて
特定の”人物” を めざす最終場所と描いています。
その心理を羽鳥もインストールしていました。
ひとりを出口と見据える心理を、そのままインストールしていました。
それは相手次第で心の風景が壊れる、という危うさ(を、おそらく多くの方がご存知でしょうけれど)
その進路は、出口と間違えられた銀髪が「信じられうるに足る、危うさのない性格」まで
育ち切った場合にのみ、正解となります。
銀髪の成長度合いと、危うさの消え方が、
いわば論点で争点です。いわゆる<<永久のテーマ>>です。銀髪は「神様レベルまでエネルギーが上がるのか」
銀髪に容姿だけは似すぎていた、本土からの「社長の息子」って、なんだったんでしょうね。
マクシミリアンと同じ容姿と間違うほどの似方。
飛は、17歳手前でも
外見と容姿だけに心がざわついたわけではないことだけは間違いないですけれど
まさか雪島主人が
マクシミリアンにまで<心の在り様>を説教しなければならなくなるとは
当初は思いもせず。
そう。年上の人生に、きざす魔を
すべて断ち切ってゆく人生って、17歳18歳あたりで壮絶ですよね?
年上にきざす魔。
年上に萌した、出来心や、描く風景のゆらぎに
あの主人公は19歳でも20歳でも 戦うという形で全力で囚われているから
羽鳥は雪島主人を離れたような気がしてきます。</font>
皆様も「どなたか一人を追いかけることの”幻想と幻滅”」に費やさず
ひたすら自己に格闘してみられたら…… 案外に名作にも名詩にも辿り着くと思います。







