
綺麗な別れ
完全な別離
顔を見ない日々
そこを超えてしか めぐらない感情を
「そのひとの姿が見えないなんて、こんなにも空虚」
そういう完全な別離の大切さ、を
人はよく忘れている。
空虚を味わい切る、の大切さに耐えられない
ストーキング勢に
私の感受性は磨耗してゆく。
私は自分の人生で「無駄ではないとわかってる」ことが「完全な別離」
むしろ離れてもらえないことのほうが苦行
「離れてもらえない」ことが拷問に近い
離れてしまえば、軽やか。
それはクワイエットライフの心だったか
それは飛が消えてからのマクだったのか
それは庇った先の海外勢が生きているか生きていないか、すら判らない
飛の心情だったか
考えてみてください。
「庇いはした」傷を負ってまで、相手を庇ってはみました。
そこで意識が途切れる。
自分を指した相手は武器を持ったままである、とうっすら知覚しながら。
それなら「庇った相手は無事であるか」
別の街で目覚めてまで、
どうやって確認する………….?
相手の生存をどのようにして確認する、というジレンマ
その感情も私自身は実体験で味わった側に他ならない。
永遠を誓うかに思えた相手が
別人と暮らしはじめて5年以上が経った頃の心境の、空疎すらも大事
永遠に好きになれる?と一時期だけは思った相手が、自分ではない他人と暮らしはじめて10年
それは、羽鳥も含めて女性なら受け入れられること。
他人を選んで暮らしてる。
その事実を、羽鳥なら受け入れられる。静かに。
「完全な別離」「完全な卒業」それは必須課題。
とにかく
私は
綺麗な静寂を求めています
とっさに道路で、身をていせるのか、もう分からなくなっています。
身体と生命の全てを賭けて庇いたい相手………今年の私に、いたかしら。
いないのではないかしら。
オレンジノエル オランジュショコラとクリスマスも
きらきらと降る天気雨も自然界は
ちゃんと大事に思えていた私
曲が
わたしにちゃんと教えてくれること
陽が照りながら雨も降る その「育つ樹々」(成長し過ぎてシルエット変わる森林)を愛してる
天の恵みから育ってゆく森林を愛している国がフランスというNewsに
安心しました
日本は北海道の森林をいぶってばかり。
北海道の森林をいぶっている規模を
家族すら、そこに気づいていないことに危機感は強いです。
無数に瞬く、無駄口のない、地上の星たちが無言で在るのと同じぐらいに
静かに。
無数の生命は、なぜ樹木を大切に育てないのか………分からなくなり始めている。
ーーー
通じないかもしれないけれど
私が四流島原作に求めたのは「軽さ」です
「頭、って、いつもかっこいい!」(←棒読み)
(憂いも? 葛藤も? かわいいじゃなくて? 素直でまっすぐで可愛い、じゃなくて、あえて「かっこいい」?)
「艶だな、花路」(←ご冗談)
「緋色の布が似合う」(←ご冗談)
宝塚花回廊が「花の道」だったことから
(花路? 花のみち…….? まさかね)
(だってこの「花回廊」も、中華とは無関係)
中国茶葉の種類に囲まれて
茶器に囲まれ 落ち着いた家具や丁度に囲まれ
もしかすれば甘いお茶もなかったかもしれない茶房の「箱入り」が
緋色のハンカチが風で舞い込んできたぐらい、それだけで「艶やか」?
妄想が過ぎる
18歳に艶やかを求める執念が引き起こした
騒動の長期間化が25年度に、いっそう、私にため息と危機感と生命の危機感を
抱かせています。
滝の瀑布の色を一粒だけに込めた贈り物を
わたしは原作通り「たった一粒」と思い込んで探したりした
その、たった一粒に出逢ってみたい気さえしていました
ですから20人分、50人分? 翡翠を見かけた時
「清流と滝の結晶。カワセミのモチーフ。浄化の海と滝の色。その唯一。晴れた滝の不可思議。
は…….何でした?」
不同意ピアスも、傷害罪、
同意に見せかけた刺青も、どれほど小さくとも16歳には傷害罪、発熱必須の傷とか
どれだけ暴力
18歳未満かもしれない主人公に麻薬を嗅がせてみる、も
意識混濁で看病、も、未成年に麻薬を嗅がせている小説であっているし
大人になってからの自己責任。(肌に染料、も、大人の自己責任。誰にも押し付けられない)を
18歳未満にことごとく与えているように読めるのは気のせいですか?
羽鳥は「16歳、17歳、20歳未満への 同意と見せかけ刺青」に
反対しています
桜色と春の花が舞う頃の
まるで天界みたいな景色に似合う「主人公」ならば
もう、シールでいい。背中の模様なんて。
発色も綺麗なシールで十分。淡麗な色も凝った柄も、うつくしく見える花の名残も
「傷である必要はない」です
軽やかに背中だけ見せるなら「シールが最上級」でなにも悪くない
かさぶた作りたい雷英が
よほどよほど「傷を残したい」派で、飛蘭がなつくなんて、何らかの意識操作です。
本土遊学から戻ってきて体格がやたら強めの雷英など、
飛の得意の「相手を、よく言おう日本語」で「拳法の手ほどきをしてくれた」とか
「強くなれたのも、怪我をしにくいのもこの男性のおかげ」とか
「身ごなしも、この人のおかげ(怪しい人ではない)」って………….
好ましい人です、と発言するしかない18歳の心情を
私は今になって慮る。
この人は、自分の知り合いです。って飛がリーインを紹介するところが
あったように記憶しています。それは現実のわたしの言葉や行動じゃないけれど
幼い子たちが怯えないようにするための(怖い大人と気づかないための)
美化、ではないのでしょうか
むしろ飛蘭で、食い止めようとしていませんか
リーインの登場シーンで、その佇まい(男性っぽさ)(エセ朗らか)が
どこか正体を危ぶまれる雰囲気を
原作が醸していた、と思うのは、気のせいですか。
わたしは作者と出会うことなく
20歳の時に「雪は稀の庭園」を浮かべていました
それは原作小説が発禁すら似合う、
発禁処分にも匹敵する、そぐうほどの「あくどさ」「教育への悪さ」「街の秩序が乱れる」
「思考力低下の街が生まれやすい」「そもそも火災に遭うようなおもちゃが街ではない」
わたしが20歳で雪稀苑は、在る。
それは「稀なる調べを聴きたい」です。意図は。
そこからの20年の後
作者自身がリーインの、笑顔と男っぽさと嗜虐を兼ね備えている、と
愕然と知るようになったわたしが
視点と論点と立場を変えるのは「当然」
よろしいでしょうか。20歳だったわたしが夢見た「幻想としての龍と花」
それは、すべての葛藤や悔いや疑いや「読み当てられていないこと」を見逃しにしたままの庭園
見逃しにしていた、のです
誰かを庇って重症あるいは傷を負っている人間は、「現代日本では、あ拉致されません」
40になったわたしは
黒の羽、ヘイタンユイと呼ばれる「変態」と紙一重の集団に空気すらあったことなく
縁も、ゆかりも、家系も、育ちも、
何ひとつ紐づかない「綾子」リャンツ、であること。
変態集団に通じるような、言葉も、仕草も、なにひとつ知らず生まれていること
異常なまでに追いかけられたこと
誕生月の狙われ方が常軌を逸していたこと。春生まれのリャンツーが
春四月 狙われ方が日本以外の他国さえ巻き込んでいるほどの 尾行と異様の嵐に遭ったこと
襲われたのは誕生日からの三日間
石川智晶が「羽鳥の誕生月を憎んだ」「誕生日っていいことがないですよね」
その「石川WEBdiary」を石川が、日本以外の他国にまで予算を使ってまで
実行したまでのこと
異国の人たちに遭遇し続けた、わたしの、かつての甲東園駅付近
ターバンの男性と無音の阪急電車
少女たちがBusでわたしを囲んでいたこと
インドにまで予算は振りまかれていたこと。
そんなこと、石川智晶による「尾行の国際Version」 こどもにも大人にも必要ない
そしてわたしは、Gameshimaを許さない。
許しません。家族と、家と、わたし自身のために。
リャンツー、が、フラメンコとフラメンカをとっても愛していたこと
その情熱と凛々しさと潔さが大好きなこと。それは「儚い少女」という像と、別です
フラメンカの「踊るならば 怒りを原動力に自分自身のために」
それはシンデレラの「お呼ばれしたなら……..」と
異なるような気がします、が?








