家の中で少しの幻を見てしまったものとして

眠れぬ日がいくつか続いています
母と同居の家で 私 羽鳥と 母 両者が決定的に違うところは
「視てしまうことがある私」 と 「何も気配は見えない母」

気配を観てしまう私 が 何を綴ろう、と思うのですけれど

この世には
ひとに幻を見せることができるひとは存在します。


だから、もし幻を見ても
それで動揺しすぎたり 騒いだり 尊いものと思いこんだり…..そういうことは
しなくても良いのだと私も思うのですよ。

10代
「見えなくていいものをよく凝視しては固まっていた」のは親友でした
私自身は「何を見たの? 道路の真ん中に砕けたガラス? それは大変だね…..」

とくに見なくてもいいものを
ずっと見つめ続けたのは「羽鳥」ではなく、元友のほうです。

それが40代になって まさか羽鳥が「空間の気配は視る」のですから
立場が逆転。自分でもびっくりです。だけれどね、

幻は、他者を装うことができる。
幻さえなりすましを行う。    そのことだけ心に留めてもらえたら、と思うのです。

一度レジで会計を払うとき「アンニョンハセヨ」とか
聴こえたことがあった気がする。驚きました。周囲に韓国人なんていないのだから。誰? です
わたしに直接的には、韓国の友人はいませんが….?

だけれどそれさえ、日本人による、なりすましだったのかもしれないのだから。
理解できますか?

他人を名乗るのです。わたしは、名乗られた名前をただしいと思いこむ。
この世は あまりにも なりすまし組の面目躍如に惑わされている気がする。

今夜は、和食の気取らないお店(Sorio「魚しん」)で ひとり 
1年ぶり?以上の時間が空いて、立ち寄ると、驚異的に店内「変な気配」を感じましたことは
心のつぶやきとしてdiaryに置いておきます。あの、食器に纏わりつく変なオーラ
原因までは分からないのですが なぜかオーラ的に ぬめっと感じる食器….???

ガラス食器のお店のほうが女性には快適かと思います

私のように 女性は立ち寄らないほうがいいお店かもしれませんね 二度と。

客人へのお料理ではない。(断言)

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