<水曜の回想録です>
12月。師走ですね。バタバタしますよね
お師匠たちも廊下を走るから師走、、と思っていた大学時代。
(「お昼まだ食べてないんだよねー!」とかおっしゃりながら、廊下をバタバタ走ってゆく教授たち)
今の時期、あと1週間で2020年が締めだと
カレンダーは伝えてくる、この時期になってようやく
「師匠が走るんじゃなくて、お坊さんが走る=師走でしたね」とつぶやいた日がありました。
私には、師匠たちのほうがずっと身近な存在だったので。
師匠の走る12月、って3年間ぐらい思っていた気がします。
大学時代も、君は大学に住んでるんじゃないの?って呆れられるぐらいに
あけても暮れてもピアノ室に巣篭もりしていましたから(戸締りの警備の人にも呆れられたし)
もうピアノの下で寝たら、とか、冗談でも言われたことが一度や二度ではない気がします
この冬も、回想は大学時代ではなく
むしろ卒業してからの歳月の中での「師匠たち」の個性を
つい思い返してしまう日があったりしました
個性の強いかたがたを。
羽鳥に関わってくださった
師匠たちの癖や、背中を、もちろん思考の癖なども含めて
理不尽かもしれない記憶も含めて
神業も含めて
さまざま思い返す日があったりしたのですけれど
私が関わってきた師匠たちは
ほぼ例外なく「職人系」であった、という事実と
自分だけのやり方で
目にも留まらぬスピードで
ただ、同じ空間を焼き付けておけと言わんばかりの。
ただ、自分の速度と、姿勢を、ただただそれだけを覚えておきなさいと
あえて私に背中と横顔しか
見せてくださらなかった師匠も、また、唯一無二に、
頑固さんでも それは素晴らしく。。(もちろん「思想面」で、頭の下がりまくる言葉も、いくつも憶えています)
師匠の「ぼやき」という本音を
あれほどたくさんこの耳で聴いたことすらも(無意識下に吸収してしまったことも)
他の方は、触れ得なかった時間なのだと いまだに思います。
ーーー
2020年 もう、私が、師と呼ばれる人間になっていて
それでもなぜ冬の回顧を綴っておこうと思ったか? なのですが、
そういえば一度さえ、師に、「こういう人であって欲しい」と
言ったことがなかったかと。思い当たりました。
こういう性格であってほしい、とか、
後ろ向き発言は控えてほしい とか
こんな思考回路をしていてほしい、とか、
もうちょっと自信満々でいてくれたら嬉しい、とか
にっこり笑っていてほしいとか (←まあこれは言えませんよね、師に)
そういう「こうあってくれたなら」が無いまま、 羽鳥は「弟子」でしたねと(今ちょっとシャレに、、笑)
名言はいっぱいあるんです。師匠の。
「選ばれた生徒だけ教えるべきだ」と聞かされたり
「教育とは奉仕だ」と言い切られたり
「一時が万事」と言われたり
「羽鳥さんの撮る写真は十分優雅だから、その優雅さと同じレベルの優雅さで、ピアノを弾けー!(さっさと進化しろー!)」と詰られたり
「どうして猫のように優雅な身ごなしができないんだ?!」と混乱されたり
何も言い返せずにいた言葉たちも
ザクザクと私の中から、保管されていて、出てくる、出てくる、、、それらの言葉を
私が、私の言葉として
生徒さんに対して使う日はこないのですけれど(他人は他人だから)
教えてくださった「コア」は
意外にも きちんと私の中で生きていますと。
同じ言葉遣いをする必要など、どこにも無いけれど、
師匠の伝えてくださったことの
音楽での真髄と呼んでしまえるようなものは、意外に、まっすぐ。
意外にもう、私の内側から出てくるので
生徒さんには「私らしく」あせらず伝えてゆきますね、と。
もう
私の直感と、私の根拠に準拠して、
もう自分の眼を信じつつ解析しつつ伝えますねと。気にしすぎずに。
師より、ざっくりですけれどね
(師よりざっくりしているのは「アメリカンクッキーみたいなもんです」とか言われそうです。それかアーミッシュの焼き菓子とか。。。意外に、切られはしないと思っています)
たくさんの師匠に育てていただいた羽鳥は「自分から出てきた音楽解釈」が
師匠のまなざしにそっくりになっていることに驚きながら
ピアノに関して
受け渡しは行われてきたことを、心から認めつつ
12月の日々を泳いでゆくのでした
With
シナモン、カルダモン、ナツメグ、パンデピス。