先日のdiaryで
「エヴァンゲリオン」は十分に危うい話という記事を書きました。
と書くよりは….
現実と夢を混同すべき、夢と現実の区別がつかないべきという論拠に「?!」と私が
否を言うしかなくなってしまっただけ、とも取れますけれど。
夢という、覚醒状態と分離した状態で送り込まれたストーリーと
現実は「紐づかなくて構わないもの」だから。
ところが現実、羽鳥は
13歳 14歳あたりでエヴァンゲリオンのTVシリーズには出会ってしまっている
のですよね。実際の時間軸として。主人公たちの年齢で、リアルタイムで出会ってる。
すると….確かにタイトルだけ覚えていたりするのです。
「せめて人間らしく」とか。
「鳴らない電話」 とか。 このタイトルの強烈。
私は、ずっと、極めて人間的に生きている。
10代は親友に寄り添って。その時代にエヴァもT Vシリーズだけは見てる。
20代はライブや音楽活動を主軸に生きて(あ、教育もですね)
30代は劇伴という過酷な世界の、夢をかなえて。
(劇伴により<睡眠時間が10分><3時間睡眠が30日以上継続は当たり前>などの世界へ突入して→
その頃には一度、防御が、ほんとうにすべて吹っ飛んでいますが)
30代で、石川智晶さんの「雪が眠る頃」を聴いた際に<名前を呼ばれた感覚になり>
30代→40代で amarena L’etoile ClassicSpring などを 描いて 響かせて
(Caution: 「雪が眠る頃」は強烈にChiakiさん節ですが、いまとなっては再生しないようにしてくださいね)
ずっと人間らしいのですよね。
意図しなくても。なんというのか、自由定型文のまま….睡眠にも波はあるし 月のリズムの影響も受けていますし
たくさん指導でピアノを教えてる時期もあれば 閑散期かな? みたいな時期もあれば
今でも「せめて人間らしく」は覚えてて
title が私の記憶に刻印があるような
意図しなくても私は人間のままなのだけれど……(時々「猫のような」イメージングが強いのは事実だけれど)
意識しなくたって、人間らしいのですよ。ずっとね toujourね。人間です。
ところが。
「鳴らない電話」がね、 なんというか羽鳥の人生をわりと象徴している。このタイトルが。
鳴らないんですよ。電話。
ほんとうに。びっくりするぐらい。3年とか5年とか10年とか、鳴らないのです。
よく壊れるの電話? というと、壊れず、待機状態はできていることが多いのです。でも鳴らない。
最初に鳴らない電話を握りしめていたのが「29歳頃」…かな?
一晩中とかね。握りしめてるの。呼び出しがない電話を。バレンタイン時期とかね。待ちびとはひとり。
待っていない相手からは「元気がなさそうだけれど元気ですか」なんて優しい電話も来る。
どうして鳴らないのかな、私からかけたら、もちろん出てくれたりするのに
向こうから「バレンタイン時期どうしようか?」って積極的な電話が…..鳴らない。その強烈な「待ち」の感じがですね
ずっと40代も続いてる。電話が鳴らない以上は逢えてないこと、仕方がないと。
2月28日も【鳴る電話】は待っていた。けれど鳴らない。
電話が鳴らない以上は、どこにも出向けない。のです。
なぜなら<日時指定して呼ばれていないから>
私は38歳か37歳頃から
「鳴らない電話」というトラップに、はまり続けている。4年は余裕で。
電話を鳴らしてくださいと祈った相手からは、かかってこない。
待ち人からは鳴らないということに。馴らされ続けている。
例えば、折電をお願いしておいてさえも、鳴らない。
:現状:
上原奈未さんからも、u-full Yukaさん(何年あってないかな?)からも、
例えばhataoさんからも、
たとえば2020年以降の交流が芽生えにくい船橋氏からも電話はならないし(近況とかもですね)
もっと言えば 最新作CDの錦織さんからも電話は1年以上かかってこないのですし(元気かどうかも不明な勢い)
同様に、私が後をつけたことがない石川智晶さんからも電話は鳴らない。
もっと言えば、zabadakからも電話は鳴ったことがない。
ゆえに、という まとめかたが正しいのか分からないけれど
【鳴らない電話】のせいで
世界はいつまでも輪郭が曖昧で 混沌です。
ツイート世界だけが
私が望まない側の現実を突きつけてくる感覚があります
つまり、私が、「こういう世界が人間にとって幸せじゃないかな」と何度も 祈ったり唱えたりしている事柄と
真逆の現実が….. ツイートをひらくと、あります。
羽鳥の人生は20代も 30代も 今の所 41歳の今もね
【鳴らない電話】と 呼吸しています
ですので……<どうして逢えないんだろうな?>なんて思う方は
電話は鳴らしてみてくださいね。
from
「鳴らない電話について」もしくは 鳴らない電話の謎について。 鳩