そもそも「悪質度」でなぜ人は判断できないのでしょうね

作曲家の中にも
古来 ヒトだけではない神話を題材に取る人はいたでしょう

パーセルが蛇を題材にした曲を書いていること
それは事実 だけれど 「聴いた人に怨念を送るような」作品とは限らない

音大時代に出会っても 波動の揺らぎはわたしはなかったのです
曲に狙われなかったという意味?

どうして悪質度で
再犯度で

人は人を判断できないんだろう

どうして社会にとって危害が大きい人を
野ばなしにするのだろう

飛行機内で昆虫が客席に。それは梶浦氏由来と
気づいていながら

定期的に飛行機内で誰かが不愉快な目に遭うことを
黙認する社会?

たとえばコンビニでコーヒーのサイズを間違えて

違うコップを? 購入した あるいは サイズの水増しをした男性は
誰の人生を変えたわけでも無いでしょう

「多くコーヒーを飲みました」 だけでしょう

パーセルは「蛇にまつわる伝説を曲に」したかもしれないけれど
この先 幾世紀 聴いた人に蛇が乗りうつるよう、なんて

願いもしなけば 綴ってもいらっしゃらないでしょう?
音大時代のわたしがパーセル作品に触れても だって 

悪寒なく
悪夢もなく 体調も崩れず そもそも悪意のかけらさえ
感じ取ってはいません

パーセルにわたしは人生で恨みなんてひとかけらもないのです
どんなお家の、どんな家系の方だったとしても
悪意を日本に感じない

わたしが呆れるのは『再度の犯罪を侵す』可能性が極めて高い
物事のほうが

放置される
 現代のこの時代の日常を

混沌を祓うための現実的な手段が何一つ講じられていないように見えます

「再犯の可能性が高い」から厳罰の対象で
長期勾留ではないの? と

公園の水飲み場が 都会で もう
水道水すら使えないようだけれど

JapanというCountryでなければ
公園の水道を雑菌などで汚染した罪って 盗難より よほど重罪なのではないの?

公共衛生の破壊と同じくらいなのでは?

「次から気をつけてくださいね」で済まないことばかりを優先的に
見逃し続けているようなJapanの異様を思う

一度捕まえておいて 事情を聴いて「 もうしませんね? 」に Yesと答える人が
多いだろうと そんなこと人間誰でも思うけれど(幼児でもお年寄りでも思うけど)

反省していない犯人に困り続けているこちらからすれば
再度 嫌がらせを実行されないために 拘束機関は何をできますか? という話

相手の体組成に
蛇を入れたい という 存在が 自由に国際旅行に行くことも
地球にとっては限りなく変だぞ? と 地球にとって「変」です 

だから鬼退治の域をとっくに越えて

結局 蛇にしか愛情がない梶浦氏が
祭り上げられてる時点で 現代状況が 羽鳥による理解不能です


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