30代
賢いひと
あるいは学歴が高めにある男性が 女性からの素朴な言葉のインプットに
とても過敏でいらっしゃる事務所がありました
(横にいる女性の発言に「見事につられてる……」
おうむ返しに呟き、みるみる考え方が影響されているな?)と
男性って
隣にいる女性の言葉に「そのまま」意識が引っ張られることが多々あるのかしら?と
それこそ小首を傾げるように
疑問に思ったことがあったものです
羽鳥が発した言葉につられてらっしゃる様子も、同じく。見受けられましたよ
わたしからの影響も「当時は」おありだったかもしれません
アメリカで経済学と映像美術と音楽と編曲をディプロムされている(そう、スコアリングも)
編曲家の西條氏 あの方も「隣にいる女性上司の言葉に(見事に染まった今?)(引っ張られてる)」と
いえ、カンバセーションも 意見交換も
空間からの影響も それこそ当然なのですけど
(同意見になってゆくの…?仕事仲間って???) と
目をぱちくり
どんぐり目になったことがあります。
そのレベルを越えて
人ならざるものたち は 「あなたと自分の区別がつかない病」 に
罹患し続けているように思われます
「自分と他人の区別がつけられない病」
つまり「羽鳥を自分と間違えた!」と発言する勢が
わりと後を絶たなかったのですよ
この7年
どう描けば 「羽鳥もわたしと同じになればいいのに」 論から
どう抜けだせばいいのか
それこそ人類共通であるかに見える「自分のストレスがあなたにも同じだけ伝染すればいいのに」という
その思考に
「自分は自分」 「他家は他家」が
なぜ できないのだろう と
どこか相手の
「思考の病」を
批判し続けながら もう365日を 5周はめぐって。
2024の春が来ています