こんばんは。
私たちは「特定の芸能人」のfanであることを
日常が輝きはじめるきっかけのように感じ、推せる人がいることを
良いことと思い込みながら生きてきました
ですが [26日]( ”荷が無しの日” と考えている人がいるそうです)
LIVEもfamclueも怖いね
印象に残ることも怖いですね
こういう雰囲気と居住区の人か、こういう花を選んだりするんだ、という情報が
東京アーティスト側に残ることさえ怖いね? と思います
心底 思います
こういうニックネームの人が
どんな花を選んでくれて そうか、名古屋の人か。静岡の人か。そういう認識を
持ってもらえることを「誇り」にできていた人
多いような気がするんですよね
でも「あ、Twitterのフォロワーさっき誰というアカウントが減りやがった。見てるぞ」って呟いている男性を
X界隈で見かけた時(ぞっ?)と思ったんですけれど
いちいち気にするの…? 1000人越えの見知らぬアカウントで「誰が減ったか」気にしとくの?!
fanclubを抜けても「あ、何人、誰と誰が抜けてる……」って
東京芸能格がほんとうに気にして(仕返しを)と思っているなら
芸能人の品格って何だったのでしょう
ほんとうに
fan活ってなんだったのでしょう
「この曲の この言葉がほんとうに心の底の景色にあって….」そういう想いを
100回でも砕ける人はいるから
ボタニカルノートも
気をつけてくださいね
私は行きません
本当にハーブを愛でる活動や
ハーブ布教活動でしたなら Musicと関連しなくても
個人でBOTANICAL押しってできることだったりしますでしょう
私は
参加する覚えがなくても
ボタニカルノートのファングッズも
トークも 十分にすでに警戒しています。
誰かの撮影した花の写真が出てくるのかな?とか、
苔、シダ、そういう感じ?とか 未知のハーブかな? とか
特定の羽鳥に対する「風説の流布」が
もう一度、何度も流れるのかな、とか わりと予想がつきますため
怖いな。ボタニカルノート
なぜならば「フィンブルの冬」LIVE title ネーミング自体が
[[「終末の冬」]]の意味合いでしたから。
行きません。
ボタニカルノートの全日程。
次回のコンサートに、お友達を誘うべきかな? と つくづく懊悩していた頃を
今どこか懐かしく思います….
距離が近くなっても恨まれる
居住区や雰囲気が知られていても なお叩かれる
そういう時代を
ならば
私たちはどう生き抜けばよかったんでしょうね