とにかく分岐は「軽々しくないか」キサラを愛せても、下郎砂とフキンのホモホモしさに耐えられない理由

純文学が、純愛を描く文章は好きです
コミックは読まないけれど。

キサラと十九郎という組み合わせは
名前だけで字面を追うよりも「軽々しくないから」 読者に愛されたのだと思っています

つまりは砂とフキン(下郎:船橋)が「羽鳥に蛇蝎の如く忌み嫌われているのは」
軽々しさと思います。軽い。思考が軽い。言葉が軽い。行動が愚か。ボキャブラリが下郎。

騙されている10代や20代が哀れでしょう?
たんにホモホモしいだけなんだから。

関連記事

  1. 石川劇場に騙されないために。

  2. 羽鳥あや profile

  3. 4月にBirthdayを迎えはしました。けれど..

  4. 「悪趣味だ」のセリフで終わらせられるレベルじゃなかった、と気…

  5. ROOM-Feb.

    2月初日、新月ですね

  6. 返金要請:全く手をつけられなかったdish(揚げ物)海外編

2026年2月
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
232425262728