2022年も押し迫ってきました。
「噂」という、録音データさえないものと2021の私は全く無縁に生きていたなぁと
思うのだけれど
なぜだろう、2022の冬になってからの私は
「噂を笑い飛ばせる強さのある人」を無性に強いと思います。
その地域独自のしきたり、閉塞性のようなものが昔から苦手で
噂を嬉しそうに話すひと自体から距離を置きたい私は
もし噂好きの方がいたら 理由なくきびすを返しそうな性格をずっと続けています
嬉々として語られるシーン自体が嫌いです
いつだったか
ご自身のBlogで「噂を信じないでいたい」と書いた方がいらっしゃいました
目で見たものしか信じない派でいよう、というような。
実際の当人と顔を突き合わせて
聴いてみて確認した話以外の「第三者のかたるエピソード」が
どれほど脆いものであるか
印象ひとつ。言葉の一つ。その日最後まで一緒にいなかっただけのこと。
そんな「これだけ?」のことで
見ていないものを信じるようになる人たち全てが今は
苦手に思えるのでした
火曜日のリアルという名前のdiary
あなたは、流れてきた噂の「根拠」を
完全に確認しうるまで。ひとづての聴いた話だけでは不十分であると。
誰の作為が働いたことによる「噂」なのか たとえ作為なら跡を認めたとしても
あなたは噂を信じない強さを持っていますか?