今回はほんとうのひとりごとです
しかもドアの中の
ほんとうにスノードロップの季節が来ました
明るくなる花たち
人間の言葉遣いと無縁に。
花たちは同時期一斉に咲いて
タイムラインは一斉に賑やかで
私はまたしても「人のせかい」に勝手に疲れてきてしまっているのだけれど
植物が好きなひとは無意識に
人の世界のマウンティングから完全に自由であろうとするのかも
しれませんね
ここは庭
一時期はこの空間で言葉を綴る時間こそが いちばん自分らしい時間でした
深呼吸する為にここに来ていました
ここは扉の中
外へ通じるためでなく
呼吸をするために。この羽鳥サイトはあります
皆様はどこで深呼吸をしていますか
コーヒーブレイクのように今、綴っています
響きあうために ただオープンマインドであれ と いう状態が基本ですね
誰かと響きあうために たとえば その手法として
心に枷をつけること
感じ方すら歪めること、は、違うでしょう。
それが何になるのだろうと思うのです
「感じ方を変えるように」諭されるとき
案外ひとは肯けない生き物なのでしょう。
共同作業と思っているものが
「羽鳥だけで決めるもの」と言われるたびに違和感が重なってゆくのは
参加者が二人以上であるなら
それはもう「二人で決めるもの」としか私は思えない性格をしていて
そして異論はいつでも毎日、常時、意思表示されるべきものと思っていて。
違うのではと思いながら黙るということが
そもそも向いていない。
師匠に「それは違うのでは」を言わなかったことがありませんからね…. (遠い目)
師匠格の方に違和感を持つと「私は同意できない」と言い続けて数年を生きた感じです
「こちらが良質と感じなさい」であったり
「こちらが上級と感じなさい」であったり そういう「感じ方の変化を言葉で指定する感覚」に私は
強烈に違和感を覚えているのかもしれない
違和感の理由が見えきらない
ただ強烈に 肯けないでいる3月です。
私は人の世界の何に疲れているのでしょうね?
3月も中旬になってきて
心は命令を好みません
「こちらで行きなさい」に従えるのは幼稚園児までかもしれない。
大人は誰からも命令をほんとうは好みません
大切にしているものが違う。それだけでしょう。
私は数字を考えるほど音質が劣化する(音色が変化する)人間なので
演奏前は極力、音楽以外の全てを、ただただ頭から追い出しています。
数字の神様と
音楽の神様は別の存在なのだろうと痛感したことが人生で何度もあります。
コーヒーブレイクを経たら
人間の世界に戻るしかないのだけれど
深呼吸できる空間を大切に。
皆様の「やるせなさ」が少しでも ほどけますように。