とても静かな宝塚の午後。
11月3日、祝日ですね。
私はふだん「自分は泣きじょうご」とは全く認識していないのですが(悲しい本も読まないし)
昨日11月2日の夜は、なぜか異常に泣きました。
常ならぬと書いて異常。
どう異常、といっても、ひたすら泣けるだけ。
鼻は赤くなるし鼻炎はひどくなるし顔は重たいし
泣いてすっきり、というのは、たぶん詭弁でしょうけれど。
なぜあれだけ自分が泣いたのか
これほど理由を説明できないdiaryもないでしょう。原理不明…..。。
ですので、ひとしきり泣いて泣いて泣いてから、眠りにつきました。
原因がわかれば誰かに電話を、かけるでしょうけれど
「なぜ泣いているの」「分からない」「泣きやんで」「それが難しい」では会話が成立しませんし。
閑話休題なのですが。
他人に涙を求める人は私は苦手かもしれません。
なぜなら赤ちゃんが泣いている時「泣きやんで」と求めるのは
自然な心の動きだと思うので。もちろん、気が済むまで泣いていていいよ、という優しさはあるかもしれないけれど
子供が泣いていても「泣かないでほしいな」というのが
通常の感性だと思っているので。
私に涙を求める作為を感じた瞬間には
忌避感を感じるのかもしれない。「涙を求める理由は何ですか」
つくづく、「泣く」ことで
瞼は腫れますし 鼻炎になりますし なんなら頭も重くなりますし
涙より笑顔のほうがずっと快適だと思います。と、ひととして当たり前のことを呟いて。
11月3日のdiaryです
誰かの泣き声に出会った時、
やさしくできる心の余裕を常に保ち続ける11月でありますよう。
皆様の「イラっと」が私はいちばん怖いです。
忍耐の対極にあるものが「イライラする」だと思います