小さな小さな、微弱音の正体….私の念と、それを阻害の他方向からの念

とても小さな。

あまり普通の方の感性では書けないdiaryを書いてみます。

It’s my diary directly.
My Name is AyaHatori ・ Io sono Aya Hatori.

I Think that,

It is justice not to destroy.

この時代のこの日本で、これ以上、人の心が壊れないことを望みます。

I'm not an aggressive person. 誰が見ても羽鳥が攻撃的だったことはないと私は考えている。



他者の描いた素敵な本を読むのではなくて

私のおかしな、異音の聴こえるかのような日常について

感覚について深入りしたくない方は、今回は避けてください。
暖房は暖かいのでご心配なさらないでくださいね

お家の中で
微かな、ほんとうにかすかな異音を聴く時があります。
旋律とは別の、もう少しデジタルな感じをうっすら漂わせる音です。ざり、という感じ?
不愉快な音には違いありません

他人には聴こえないのかもしれません。私も家で聴きたくはない。全く聴きたくない。
私には聴こえます。ただし、「私が鳴らしているのではない」ことは確か。
どんなタイミングで聴こえるかも、あらかじめわかるものではありません。

私が何かを願う時(たとえば誰かの体調回復などを願うとき)

効果を実感することはあるのです。例えば顔色が優れなかったひとが、少し明るい顔になれるように。
あ、通じた、という波長の確認はあるのです。しかしコンマ数秒の時差で

しかし同時に羽鳥へ。

私を阻害する力も、私にわりと明確に跳ね返ってきます。
羽鳥そのものへの「育てるな」というような念が還ります。

私は、私自身のコアからのオーラを守ることに専念するより
ときどきは他人のオーラの整えを願うほうが多分本当は….本質的には「私らしい」のですが

私に何かの阻害が来る(venu)もしくは
私が幸福を願った対象へ、何か、別の異音が、まったく別の存在が異音を奏でてあとを追っていく時もあります。


羽鳥の感覚は
拓きかけたり/退化したりを繰り返している気がするのだけれど

いちばん歯がゆいのは
幸福を願った対象に対する感情・念を「読まれた」際に
その対象へ、私に影響する他者が何を思念するか、まったく私にとっての手のひらを越える出来事となるから

私の感情そのものをつどトレースするものを感じていること自体は
日常をジレンマ的に縛るものに他なりません。

感情のトレースを「自力で遮断」できるほど器用な人なら良かったのだけれど。
他者に読まれる感覚は、そろそろ、違和感だけではなく はっきりと世間のご迷惑では?という
質感へ変わりつつあります。

この時代に、この11月に、
こんな思考をしなければならない私の歴史になるとは予想だにしていなかったのだけれど

「私の記憶/感情の色/発案を読まないで」が、私の根本的な思考回路であるわけです。

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親友にさえ「あなたの考えている感情・願いの強さは、はっきりいえばオーラの開放型というかね、
きっちり閉じて隠せている系じゃなくて、私にも割としっかりはっきり分かってしまいかねない性質だから
読まれる云々は理解できないけれど、とにかく、わかりやすい方ではあるかもしれないね。感情の色が漏れやすい感じはあるかも」と
注意されたことがあるくらいだから

羽鳥が「読まれないよう」完全に防御できないこと自体は
土曜のdiaryとして、これはもう、羽鳥の手のひらに握れないことなので


あらかじめお詫びをしておきます。
つまりは羽鳥自体が「疑うな、怖がるな、悩むな、心配するな、まして悪い予想など考えないこと」と、
こういう状況下にあるわけだけれど

人間は思考をめぐらせ、色々な可能性を探るような知性をあらかじめ持つから。
こうだったのか、いえ、こういうことなのかしら、どういうことなのかしら、と思考が迷うのは避けられないのですよね….

羽鳥が「妨害」される矢印の向きを防ぎきれてはいないこと(異音がざりっと私に刺さるイメージ)
時折ひどく辛そうな時があるかもしれませんけれど

2023の道のなかば
書き記しておきます。いわばexplainとして。。     羽鳥

I don't like people who make trouble for my lack of aggression.

怒りっぽい人が、
もともとは怒りのなかった私を乱すことを私はとても厭うていると思う。

ーーー

私は「人を育てる(子供の情操を育てる)」「人の顔色を少し良くする」がもともと
できるような種別の人間であり それは どの子からも異論はないと思うのだけど
(愛情を注いだ感覚があるから)

「子供に優しくするな」という念を
横方向から感じて「?!」という体験を 思えば数年前からわずかに感じていました。

その頃から「子供に….やさしくするな?」
私自身の本筋といちばんズレた命令の念を感じて、薄寒いような、
どうして無垢を嫌がるかな? という、 首を傾げるような感情の動きを私はしています。

つまり、私の感情と「全く無縁な」横槍を入れられて反応しているとお考えいただければ事実に添います。

世界でいちばん祝福されているのが子どもの命と思っているので。
ただ、私が、では、この子どもさんが可愛いな、と積極的に幸せいっぱいに感じることが

あるいは他者にとっては
「その私の感情を感じ取った存在」からの矢印が 後を追う場合が 100パーセント防ぐことができないように感じるため

こんにちの私が「幼子と積極的にたくさん関わる」ことを良きことと言い切れない危険性を
たぶん世界で誰より私が理解している。

幼子を邪魔だと発する念は、どこかしら、男性に似ているけれど
街で、子育て中の、子煩悩なお父さんを発見することは当たり前のことだから
世間の男性がみなこども苦手か? といえば、絶対そうではないと思うのです。

つまり、羽鳥に「子どもへ愛を渡すな」と伝えるものは何…? という話です。結局は
そして攻撃性の点で、究極、私の念と性質が違いすぎるため

相容れないものの横槍を受けている私。 (息苦しさなどの形がわかりやすい)

羽鳥が何を思念するか。それが広大な世界へ少しだけ影響していることを
骨身に染みて、「私は危ぶまないこと」ぐらいは….実践できたらいいな、と思っているのです

実質的な記録として。

背中のあたたかさ。
背中のつめたさ。

今は背中が冷たいのだけれど
「羽鳥の感情が正しいものであったとしても、その結果、世界に引き起こされる事象が正ではない」という
パターンが起きていないか?を私自身が感知できない以上

おもてだって、「よし、あの子に良い念を送るぞ」と頑張るのはご遠慮ください。その瞬間に
波長が合わなくて寒くなったり、攻撃性を受け取ったり、
その結果が私にどうリフレクションするか全然わからないから。むしろ
「あなたの身体的弱さを許さない」と攻撃されている実感のほうが強いから。

身体的弱さをゆるさない、という台詞を私はとても奇妙に思う。
大学時代、ひと息に坂を登りきれない人だった。子どもの頃はラジオ体操でも、胸痛があった。
テニスができなくて体育の授業はほとんどをさぼった。文系人間の極みだった。

個人の特質としての攻撃性のなさを「攻撃されても」
正直呆然とするだけのこと。

防衛型に攻撃型を求めることをそのまま取りやめていただくことが悲願です。

私の周りで攻撃性の強い牡牛座の知人、いませんけれどね。
攻撃性の塊については私はいちばん防御が下手と言えるでしょう

この時代をどう歩めば「隣人と空気が少し良くなるか」そんな方々がわずかずつ増えればいい。
そう願っています

I want you to stop imitating me.
真似、をされることを楽しめる人はおそらくファッションアイコンでしょう。

私は真似をされても不愉快しか感じない。
なぜなら言葉をなぞっても「その人の回路ではないから」です

なんでしょうね。どこかしら、
武器を持たないひとに鋭利さを求めることの滑稽さをいつも思う。

このBlogのコピー、転載、引用を禁じます。 (C) Aya Hatori

なお、東京地方に住む方とは「出会ってもいない」と書かざるを得ません

出会ってもいない方に、本当は攻撃もできるはずでは、という思考を押し付けられるのは迷惑です。
生まれ持った性質についてご理解くださいませ。

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