中学生の私が、クラスメートの特異さに気づくとき

中学生を過ごした大阪女学院で
最初のクラスにて

K(Schildkröte)という女の子と ある日突然 意気投合して
同じサークルに入るようになりました


あの頃、大人びて見える生徒は
同クラスの中で Kだけだった気がします


「羽鳥の知らないことをたくさん知っている(文学や価値観など)」

だけれど1990年代
1999に向かっているという洗脳に 中学生たちは囚われてゆきました

Kは
その年齢に見合わない大人びた雰囲気の持ち主。 だけれど


周囲のクラスメート全員まとめて「自分より20歳は年下」と
扱うような態度でした為

自然と Kは敵を周囲に 作りだしてゆきます

そういう女性は「大人」からは 微妙な空気かも……しれません

周りに敵が多くなっていても…
Kの自尊心や態度は変わりませんし

今でも Busで一言「 子供って邪魔。親の愛を無償でもらえると思い込んでる」と
13歳の私に発言したこと、その違和感。こちらの心に刺さった小さな棘

「人間ってゴミみたいに見えるよね」 by  K

得心しきれず。納得しきれず。
そんなに無数の人間を眺めたこと、あります……? と 中1の私が 不思議な気持ちになるのです

Kは「ひまわりって太陽のほうばっかり向くから嫌い」 と 発言していることも

花が太陽の方向を向くナチュラル。
そのどこが悪いのか、わからなかったと…..

つまり 「友といえど他人」 は 全人類 共通の感覚と思います 
Kと一番仲が良かったはずの junior scool 初年ですらも

「頷けないな?」は ずっとずっと あったのです

つまり出会った時から
私は「こどもが好き」 当時の親友「人間の背中を蹴りたくなることってない?」

…… ようやくに
「蹴りたい背中」のtitle に 酷似してゆくような
冷めた感覚を 人間嫌悪を 


出会った年のKちゃん は すでに自分の中に醸成していたのだと気づくのです


あ、ちなみに
蹴りたい背中 は 一度見かけたら忘れられないtitleで さすがだな、さすが小説家と
ほんとうに頷いたのですけれど、書籍は未読です。。

つまり出会いの時点にして
Kちゃんが 13歳にして「すでに厭世」   羽鳥「童っぽい」 


当時の中学の記憶は もういいかな と思います

Schildkröte (シルトクローテ)

公開していい屋号なの? 
誰なのか 分かりかねないよ?と質問した際
「いいのー。公開して構わないよ」と あっさりとお返事がありました。


何故の屋号なのか 分かりやすいのに
小さなdiaryに残しておきますね


その「こども嫌い」のKちゃんが
ご結婚されて、ご自身のお子さんを授かって子育てをスタートし初めて
我が子を溺愛する母親になるわけです

(昔の「こどもって嫌」「苛つく」発言どこに消えたんだろう。幻みたいに消えてる)

そっと私は 人格って 子供を授かる前と 授かったあと たぶん激変するのね?と
一応理解….. と呟くのでした

そう。同じ人とは思えない。そういう感覚

我が子を授かったことで kameがいきなり
「私、太陽です!」って言いきれる時間帯が来て….
こどもがあどけないうちが一番幸せ、と言っていて


それは反抗期を予感していたのかもしれませんね
だけれど知的な子供、って、「小さな大人」でしょう?

あ、家族に大人が増えた。で何がダメなんだろう…..?

20歳などになっていたら「犯罪をしないプライド」は必要でしょうね

母親って強いよね? と 感じてはいます
両親が子供を溺愛する姿は 私は全然 苦手じゃないです


ただ、なぜでしょうね
Kが 大人には見えないかな。
どうして 子が10歳ほどになれば 母親は成長を止めるのでしょう。 それが不思議

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