ようやく関西が、 梅雨らしくなり、、、すっきりしない天気が続いていますね。
青空が貴重な感じ
それでもお散歩は行きます(はい、目的は、書店です…)
←本も、文具系も、どちらも好きなので、滞在してしまう。行けば、なにかしらの発見が。。
親友の誕生日に贈る本または、ちょっとした雑貨を探している、という目的も
ひっそり含まれますが。
蟹座の友は、わたしの親友。
プライベートの友、
かけがえのない、わたしのともだちです。
随筆というか、、
連休に、ふっと息をついて、、いまの思考の経路ですが
近い距離に住んでいるわけでもなく
メッセージのやりとりも、年に数度の勢いですし
たわいのない日常の報告は、手をわずらわせてしまう気がして
あまり連絡もしないのですが(それに連絡もほとんど来ないのですが)
Zabadakを共に、うたっていた、蟹座の友は、
遠いエリアの、わたしの、ともだち。
目の前のリアルと、そして創造の領域を、かなり自在に行き来することが、
もともと得意なひとで、ありまして
いつでも「お疲れ、あるいは、おかえり」を言ってくれるひとでもあって
歯に衣着せぬ性格も、わたしには、すごくありがたくて
まあ、わたしの陥るパターンを、もしかして彼女は既視感があるものとして
捉えてる可能性があるのですが(10代からの友達って、、、
お互いの変遷を、20年間以上も、蓄積していたりするから)
わたしの心の真ん中へ 響いてくる言葉が、どうしても足りなくなったりしたら
なるべく遠慮せず連絡するようにしています。蟹座の友人へ。
そういう存在、が、貴重です。
10代から知り合っている、
その頃の性格と お互い、随分と変わってきた部分も、めちゃくちゃたくさんありますが
なんといっても「装う」ことを、する必要が、ない感じなのです、
例えば私が
たれぱんだモードだろうと、よし、たれぱんだだな、と、認定してくれていて
もしも「演奏後のクリオネ」になって、わたしが漂っていても、
そのまま見せられる。
クリオネだから嫌い、というふうには、転ばない。
よそゆき羽鳥でも、もちろん笑って横にいてくれる友達。です。
蟹座の世界。わかりますか。
そういう喩えって通じないひとも多く、ちなみに、昔の私にも通じませんね(どないな)
わたしだって、今も、あまり分かっていません、
声も聴けていない、会えていない、のですけれど
”かたい殻の中に やわらかい心を守って、つよい”
そういう比喩を読んだ時、当てはまる、ふっとイメージしてしまう人たちは、
意外に、たくさん居るもので。
殻の中の、つぶやきと祈り。
壊れそうにない外郭が、そこまでして、守っている、みずみずしい「中身」
中身には、大事なものたちが抱えられている。
それだけが、間違いのないことなのだろうと思っています、
各家庭ごとの、独特の世界も、そういう感じなのだろうと思っています、
立ち入れない。。 謎の家族ルールと言うのでしょうか、
オンラインで見かける方の、中身も、やはり、「見えてはいません」
まあ、、、全てが透明のままだと、それはそれで生きづらいのは間違いないことですので、、、
確かなのは
私の中身にまで届くのは、相手の中身から出た言葉だけ。という部分です。
ポーズはポーズだと、分かります。
良かれと思っての相手からのアドバイスが、
そういうことではなく、、ごめん、そうではなくて、(むしろ違う)となる場合も
どちらも悪くはないことで、正しさを判定するために、コミュニケーションしようとするわけではない、
なんだか「正しさの追求」にも疲れてきている、のは、正直な感触ですが
だからと言って、諦め顔も、もう違うし。
ふと胸の真ん中で思うのは
中身を、すこやかに守れるのは、ただ、そのひと自身だな、という事で
御身大切に、、、という、そこに、いつも、かえってきます。
ご自愛が、大事すぎる時代だなあ、と。
特に、ここまで電車内さえ殺伐としてきている昨今は。
セルフディフェンス以外に、頼れるものがない状況へ、
追いやられている方々が もう増えすぎていて(電車の中を見守れば、もう分かるものです。、様子。
個人の努力というより、
公共のセーフティネットが、もっと、充実して、
幅広く、すっぽりと、しっかり守ってくれる「仕組み」「構造」が、もっともっと豊かにならない限り、
停滞感や、分断感ばかり煽られても、
安心感など、理由なく増えるはずは、ないのです。。
わたしができていることなんて「お元気ですか」「こんな楽曲を今、織っています」
「地下鉄の、どの線に、乗りたいのですか?」
「駅員さん、呼びましょうか?」 「その駅までならご案内します」
「乗り換え方法、もう一度、ご説明しますね」
そんな程度の、ただそれだけのことなのかもしれないけれど。
随分、、そういう、ちょこっとしたヘルプを当たり前にする人が、減ってきていて。
大きなヘルプは仕組みに頼らざるを得ないけれど
ちっちゃいヘルプなんて、、それこそ、タイミングで、お互い様なのだから。
独白ですが、
羽鳥は、大人になる程、30代になってから、ますます
なおさら<役割>以外の部分の、そのひとを見てしまう気がする。役職以外の、その人。
殻の中を覗き込んでしまう気がする。
その人の「中身」の色を、見てしまっている。
「あなた自身に、かけがえはない(代用がない個人)そこを、最近、分かって、らっしゃいますか…(汗」と
そんなことを内心で噛み締めます。
わたしのユニークな家族、一定期間(青春時代)を海外で過ごして
ヨーロッパの沢山の国を見て(招かれて)から、日本で生きている家族に
わたしは染まっていないつもりでも
一部は、すでに、やっぱりばっちり染まっていて、(海外と電話でやりとりする家族を身近に見ていた)
培われた感覚は、ヨーロッパの、文化面を、家庭から吸い込んでしまった部分もあって、
そういう(ちょっとばかり個性的な)わたしから見たら
親友も、そして皆様も、じゅうっぶんにユニークなのですが(ええっ)
役割、ペルソナ、べき論。そういうものを
プライベート時間には、ときにはメイクオフしてしまいましょう。その方が、
「ああ、こういう方だったんだ」と、きっと、伝わります。わたしも自分に最近そう思っています。
真夏へ向けて。
メイクを落とす時間、メイクを落としたままでも会える友、と、
どうにか「会える時間」をもっと作りたいものだと思っている羽鳥でした。
「蟹座の殻と水」
かけがえのない、シールドと本体。
みんなの中身が、安心していられるための方法を、ふと、考え込みそうになります。
どうしたって、、、盾が、足りない感覚なのですよ。
羽鳥の話ではなくてね。個人を越えてね。。。良くなっていってたり、しない。
盾が足りないことを訴えても、
以前の会社の上司たちに「部下を守りたい想いのある」心のつよい人が
まあ異常なほど、少なすぎましたし(一人、二人だけだったんですよ、、、最後には話し合えましたけれど)
(自分がいる集団に対して、倫理観や、多くのかたの体調を守るために、声を上げることが、できるほうへ。
20代の自分から見れば、これでも随分と「進み」ました)
ことし、体調を崩している女性の先輩が何人もいらっしゃいます。心配です。
蓄積疲労なので当然、一朝一夕のストレスではないことを存じております
まあ羽鳥だって、気が強いだけで、
体が強いか?と自問すると、逆だな! とも感じることがありますし
(休憩の必要を痛感する前には、休むよう心がけています=今年は倒れない夏にするのですー
この夏を無事に乗りきって
(投票日は、来週日曜ですね)
今より<もっと安心して> 涼しい秋を迎えたいものです