街角、通りすがりだけ、ふと佇むとき

自分が生みだす 音楽の物語で
眠らせている曲たちも、とても沢山ある。
こことは違う風景が、声が、ある。

美しい言葉も、随分、見つかる。
友人が作詞してくれた曲も。結局未収録のままで。

(写真は およそ1年前。その日の心持ちを、わたしはもう確かには思い出せてないけど)

ひとつずつの物語に <そこでだけ流れている時間>が、ある
羽鳥の創る楽曲にも、ある。
そこでだけ通じる景色と言葉。まだ世界の誰も知らない音。

だからこそ足を取られているわけに、いかなくて。
わたしが私に足を取られるわけにいかない、という、この独特の感覚を
たとえば親は共感しなくても、
案外、友は、共感してくれたりもします。

(ポルノグラフィティにも合った気が、、、)

生きることは歩くことで
生きることは、たとえば目の前のひとの表情を見逃さないことだから
佇むだけで「何してる?」と
問い詰められる日々には、なんでもないです、と反射的に答えるだけの。

なんでもないはずはない
大切にできないなら眠らせておいた方がマシだと思っていた。ずっと。
大切に扱えないうちは、
その曲を取り出すべきでは無いのだろうと思っていた。それは確かだと思っている

歩くために重くなりすぎた、地図や、松明や、森と深い色の宝石は、誰かの言葉も、
読んだ文章の手ざわりも
積もって積もって 繰り返す
時々、これ以上はこのままは歩けないと思うタイミングを、何度か、生んだ。

荷物を下ろすからこそ、足取りは軽くなる。
大切なものでも全てを抱えたままでは動けなくなる

意図的に、わたしにさえ、置き去りにされてきた部分が大きくて。
大切にあつかえる日までは 眠ってきた曲たちを

秋のあたたかい日差しに並べる。
もしもし、呼吸してますか、と、問いかける時間帯に

もしかしたら
息をふきかえす曲だけでは無いのかもしれないけれど

すぐに起きてくれた曲から、挨拶する。

押入れから起こす、天然石のようです。
すぐに目が覚める石もあれば
随分、まだ色が褪せているかのような地図もあって。元気になって、と、曲に向かって
そっと応援してみたりする

こだわらない日々を送り、再び、こだわりたくなるのは
季節のせいとは限らず、誰のせいとも限らずに

もっとささやかな動機でも良く

オリジナルの景色を届けたいと
紐解かれる曲に、心を寄せてくれる、いま反応を返してくれている
「今の」声に、まず届けばいいと思っています。

こことは違う景色と予感。

いま鳥のみる景色の日記でした。 頑張ります。

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